歌い、舞い、踊る。そこには、地域の人々が神へ伝えた願いがありました。
日本各地の祭りでは、歌や踊り、神楽、獅子舞など、地域ごとに異なる芸能が演じられています。
これらの多くは、単なる娯楽として始まったものではありません。人々が神や仏に願いを伝え、豊作や安全を祈り、無事に暮らせたことへの感謝を表すために行ってきたものです。
こうした地域の暮らしや信仰と深く結び付いた芸能を、民俗芸能といいます。
この記事では、民俗芸能が生まれた理由や地域による違い、代表的な種類について、わかりやすく紹介します。
この記事でわかること
- 民俗芸能とは何か
- 民俗芸能が生まれた理由
- 地域によって芸能が異なる理由
- 神楽・田楽・風流などの主な種類
- 民俗芸能が受け継がれてきた歴史
民俗芸能とは
民俗芸能とは、地域の祭礼や年中行事などで、人々によって演じられる歌、舞、踊り、演劇などのことです。場合によっては、芸能が行われる祭りや行事そのものを含めて、民俗芸能と呼ぶこともあります。
民俗芸能の主な担い手は、専門の俳優や舞踊家ではなく、その土地で生活している人々によって守られています。地域の住民が世代を超えて受け継ぎ、決められた時期に、決められた場所で演じてきました。
そのため、民俗芸能には、その地域の自然環境、歴史、信仰、暮らし方などが色濃く表れています。
同じ獅子舞や神楽でも、土地が変われば衣装や楽器、踊り方、演じる目的などが異なります。この地域ごとの違いこそ、民俗芸能の大きな特徴です。
民俗芸能とは、
地域の人々が祭りや行事の中で受け継いできた歌・舞・踊り・演劇などの芸能です。
なぜ民俗芸能が生まれたのか
昔の人々の暮らしは、現代よりも自然の影響を強く受けていました。
雨が降らなければ作物は育たず、嵐や洪水が起これば田畑や家が失われます。病気が流行しても、原因や治療法がわからないことが少なくありませんでした。
人々は、自分たちの力だけではどうすることもできない出来事の背後に、神や霊などの大きな力があると考えました。そして、豊作、豊漁、雨、無病息災、子孫繁栄などを願い、神や仏に祈りをささげました。
願いを伝えるために、人々は言葉だけでなく、歌い、舞い、踊りました。また、願いがかなったときには、感謝を表すために芸能を奉納しました。
こうした歌や舞が何度も繰り返されるうちに、演じ方や順序、衣装、音楽などが決められていきました。それが一つの型として受け継がれ、やがて民俗芸能へと発展したのです。
民俗芸能が生まれた流れ
- 自然や病気などに対して、神や仏に祈る
- 願いや感謝を歌や舞、踊りで表す
- 同じ行事を繰り返す
- 歌い方や動き、衣装などが決められる
- 地域の伝統的な芸能として受け継がれる
民俗芸能が行われる時期
民俗芸能は、いつでも自由に演じられるものとは限りません。多くは神社の祭礼、寺院の法会、正月、田植え、盆、収穫祭など、決められた日に行われます。
毎年行われるものもあれば、数年に一度、数十年に一度しか行われないものもあります。また、雨乞いのように、必要が生じたときだけ臨時に行われる芸能もあります。
一日で終わるものだけでなく、数日間続くものや、夜を通して演じられるものもあります。
民俗芸能は、決められた周期で繰り返されることによって、地域の記憶や伝統を次の世代へ伝えてきたのです。
長い期間するもので、『郡上おどり』という、岐阜県郡上市で約30日間近く続くこのお祭りが好きです。
誰が民俗芸能を演じるのか
民俗芸能では、地域の中で演じる人や役割が決められていることがあります。
子どもが担当する役、若者が担当する役、大人が担当する役など、年齢によって役割が分かれる場合があります。また、男性だけ、女性だけ、特定の家の人だけが参加する芸能もあります。
神主や僧侶が演じるものや、念仏を唱える人々が集団をつくって行うものもあります。
神聖な行事では、参加者が一定期間、肉や酒を避けたり、身を清めたりすることもありました。これは、神や仏に仕えるために、日常生活とは異なる状態に入るためです。
現在では参加条件を変え、女性や地域外の人も加わるようになった芸能もあります。伝統を守りながら、社会の変化に合わせて受け継ぎ方を工夫している地域も少なくありません。
民俗芸能が行われる場所
民俗芸能が行われる場所には、それぞれ意味があります。
神社の境内、神楽殿、寺院の内陣など、神や仏と関係する場所で行われることが多くあります。地域によっては、特に神聖な木や岩の前を、芸能を演じる場所として定めています。
田植えに関係する芸能は田んぼで行われ、山伏神楽などは民家の一室で演じられることがあります。盆踊りのように、広場や道路、町の辻で行われるものもあります。
歌舞伎や人形芝居では、地域に専用の舞台がつくられることもありました。祭りで使われる山車が、移動する舞台として利用される場合もあります。
つまり、民俗芸能の場所は単なる会場ではありません。神や霊を迎え、人々が祈りや感謝を伝えるための特別な空間になるのです。
奥能登での『春のあえのこと』または『田の神送り』とよばれる田の神様を家にお迎えして、ご飯やお風呂などの接待をする伝統行事が文化がかなり好きです。
遠野のオシラサマも同じ形態の文化なので、寒さの強い地域には田んぼの出来に自然の影響に左右されるので、より神頼みの部分があったのでしょう。
衣装や道具にも意味がある
民俗芸能では、華やかな衣装や仮面、特別な道具が使われます。
神楽や獅子舞では仮面を使うことが多く、演者が神や動物、霊などに姿を変えたことを表します。剣、鈴、幣などを手に持ち、悪いものを追い払ったり、神を招いたりする場合もあります。
獅子踊りや太鼓踊りでは、背中に大きな飾りを付けることがあります。演じる場所も、しめ縄や切り紙などで飾り、日常とは違う神聖な空間につくり替えます。
民俗芸能は、歌や踊りだけで成り立っているのではありません。衣装、仮面、楽器、道具、場所などが一つになって、祭りの世界をつくり出しています。
山陰の『麒麟獅子舞』や『石見神楽』のように大陸の文化に強く影響をうけ、派手な装飾や演出が大きく出ていた感じが、地域によってどこからの影響があったのかが見て取れます。
日本の自然と地域ごとの民俗芸能
日本は海に囲まれ、国土のおよそ3分の2を山地が占めています。南北に長く、地域によって気候や地形、産業、暮らし方が大きく異なります。
こうした自然環境の違いによって、それぞれの地域に独自の民俗芸能が生まれました。
北海道
北海道は広い土地をもち、面積の多くを森林が占めています。海にも囲まれ、狩猟、漁業、採集などに関わる文化が育ちました。
この地域では、先住民族であるアイヌ民族が独自の歌や踊りを受け継いできました。また、近代以降に日本各地から人々が移り住んだことで、それぞれの出身地の祭りや芸能も伝えられました。
東北地方
東北地方の中央には、南北に奥羽山脈が走っています。山々は山伏たちの修行の場となり、山伏が麓の村々を訪れることで、信仰や芸能が伝わりました。
日本海側では海路、太平洋側では陸路を通して、京都や大阪を中心とする上方などの文化も伝えられました。
そのため東北地方には、山岳信仰と結び付いた神楽や、念仏踊り、田植えに関係する芸能などが数多く残されています。
関東地方
関東地方には、広く肥沃な関東平野があります。農業に適した土地に多くの集落が生まれ、人々は互いに影響を与えながら文化を築きました。
江戸に幕府が置かれると、日本各地から武士、商人、職人、旅人などが集まりました。そのため、各地の芸能が江戸や周辺地域に伝わり、地域の文化と結び付きました。
現在の東京都内にも、田遊びや獅子舞など、農村だった時代の民俗芸能が残されています。
中部地方
中部地方には、日本アルプスと呼ばれる高い山々が連なっています。そこから流れる川は、日本海側と太平洋側の両方へ向かいます。
また、中山道などの街道が東西を結んでいたため、多くの旅人や商人が行き来しました。その結果、東日本と西日本、山間部と海沿いの文化が交わりました。
山深い地域には古い形の芸能が残り、街道沿いの地域には外から伝わった芸能が取り入れられています。
近畿地方
近畿地方は、長い間、日本の政治や文化の中心でした。奈良や京都では、宮廷や寺院を中心として、舞楽、神楽、能など多くの芸能が発展しました。
そこで生まれた文化や信仰は、街道や海路を通して全国へ伝えられました。
大阪は大きな港をもち、商業の中心として栄えました。人形浄瑠璃や歌舞伎などの舞台芸能も発展し、地方の芸能に大きな影響を与えました。
中国・四国地方
中国地方と四国地方の間にある瀬戸内海は、古くから上方と九州を結ぶ重要な海上交通路でした。船で多くの人や物が行き来し、さまざまな文化が伝わりました。
中国山地や四国山地は、山伏の修行の場でもありました。山伏が地域の人々と関わることで、独自の信仰や神楽などが生まれました。
広島県や島根県などには、太鼓や笛に合わせて田植えを行う「花田植」などが伝えられています。
九州・沖縄地方
九州は中国大陸や朝鮮半島に近く、古くから外国との交流の窓口となりました。そのため、大陸から伝わった音楽や舞踊、宗教文化の影響を受けています。
一方、九州山地などの山深い地域では、外部との交流が限られていたため、古い形の芸能が残された場所もあります。
沖縄を中心とする琉球地域では、中国、日本本土、東南アジアなどの影響を受けながら、独自の音楽や舞踊が発展しました。
民俗芸能の主な種類
民俗芸能は全国に非常に多く存在し、その数は数万件に及ぶともいわれます。
一つの芸能の中に、神楽、踊り、演劇、念仏、獅子舞など、複数の要素が含まれることもあります。そのため、すべてを明確に分類することは簡単なことではありません。
ここでは、代表的な種類を紹介します。
神楽
神楽は、日本を代表する神事芸能です。
神を特別な場所に迎え、歌や舞でもてなし、祈りをささげるために演じられます。笛や太鼓などの囃子に合わせて舞うものや、神話を演劇のように表現するものもあります。
宮中で行われる御神楽は歌を中心としています。一方、地域の神社などで行われる里神楽では、舞や演劇的な表現が中心となることがあります。
神楽には、巫女が舞うもの、神話を演じるもの、湯を使って清めるもの、獅子頭を神の姿として舞うものなど、さまざまな形があります。
田楽
田楽は、稲作と深く結び付いた芸能です。
日本では米作りが人々の生活を支えてきました。そのため、田の神を迎え、豊作を願う行事が各地で行われました。
田楽には、実際の田植えより前に稲作の様子を演じ、豊作を先に祝う「予祝」の行事があります。田を耕し、苗を植え、収穫するまでの動きを歌や舞で表現し、神に見せることで豊作を招こうとしました。
また、実際の田植えに合わせて行われる御田植神事もあります。早乙女が田植えをする間、舞台で歌や踊りが演じられる場合や、太鼓や笛に合わせて田植え歌を歌う場合があります。
風流
風流とは、美しく華やかに飾り立てて行う芸能です。
平安時代の人々は、疫病や災害が起こるのは、この世に恨みを残した霊の祟りによるものだと考えることがありました。そこで、大きな祭りを行い、歌や踊りで霊を慰め、災いを鎮めようとしました。
このような信仰を御霊信仰といいます。
代表的な祭りの一つが、869年に始まったとされる京都の祇園会です。現在の祇園祭につながる行事で、疫病を鎮めるために盛大な祭りが行われました。
念仏踊り、盆踊り、太鼓踊り、小歌踊りなど、多くの集団芸能が風流の系統に含まれます。山車とともに町を進むものや、仮装して踊るものもあります。
獅子舞
獅子舞は、日本各地に広く伝わる民俗芸能です。
獅子には、悪いものを追い払い、病気や災いから人々を守る力があると考えられてきました。正月や祭礼などで、獅子頭をかぶった演者が家々を回ることもあります。
獅子舞は、一人で一頭の獅子を演じる一人立ちと、頭を担当する人と胴体を担当する人が組になって演じる二人立ちに大きく分けられます。
地域によっては、複数の獅子が太鼓を打ちながら踊る芸能もあります。
祝福芸
祝福芸は、特別な資格をもった人々が家々を訪れ、祝いの言葉や歌を述べる芸能です。
新年などに、長寿、繁栄、豊作、家内安全などを願う言葉を唱えました。千秋万歳、春駒、恵比寿舞などが代表的です。
昔の人々は、言葉には現実を動かす力があると考えていました。よい言葉を唱えれば、よい出来事が起こるという言霊信仰が、祝福芸の背景にあります。
祝福芸からは、物語を語る芸能や、町中で行われる大道芸なども生まれました。
渡来芸と舞台芸
日本の民俗芸能の中には、外国から伝わった芸能をもとにしたものもあります。
古代には、中国大陸や朝鮮半島などから伎楽、舞楽、散楽といった芸能が伝わりました。これらは一度、都や寺院、宮廷に取り入れられた後、地方へと広がりました。
二人で演じる獅子舞の一部も、大陸から伝わった芸能の流れを受けていると考えられています。
また、能、狂言、歌舞伎、人形芝居などの舞台芸能が地方へ伝わり、その土地の言葉や音楽、習慣を取り入れて、地域独自の芸能となった例もあります。
民謡
民謡は、人々の生活や労働の中から生まれた歌です。
田植え、稲刈り、木材運び、漁、船こぎなど、共同で作業をするときに、動きを合わせたり疲れをまぎらわせたりするために歌われました。
祝い事や酒宴で歌われるもの、子守りのための歌、踊りに使われる歌などもあります。
人の移動によって別の地域へ伝わり、歌詞や旋律が変化することもありました。地域の民謡が舞台や放送で歌われ、専門の歌手によって広められるようになった例もあります。
アイヌの芸能
アイヌの芸能は、日本の北方地域で暮らしてきたアイヌ民族が受け継ぐ歌や踊りです。
アイヌの人々は、自然や動物、生活道具など、人間に恵みを与えるさまざまな存在に魂が宿ると考えました。こうした神聖な存在をカムイと呼びます。
儀式や祭りだけでなく、仕事や遊びなど、日常生活のさまざまな場面で歌や踊りが行われました。
人々は歌い、踊ることによって、カムイへの感謝を表し、カムイとともに楽しい時間を過ごそうとしたのです。
アイヌ音楽の『ウポポ』を複数の人が声だけで、かぶせるように歌うものがトランスするような感じで好きです。
琉球の芸能
琉球の芸能は、現在の沖縄県を中心とする地域で発展した芸能です。
かつてこの地域には琉球王国があり、中国や日本本土、東南アジアなどと盛んに交流していました。そのため、さまざまな地域の文化を取り入れながら、独自の音楽や舞踊が生まれました。
琉球王国の宮廷で発展した宮廷芸能と、村や地域の祭礼で行われる民俗芸能があります。
宮廷芸能には、外国の使者をもてなすために演じられたものがあります。地域の芸能には、豊作や豊漁を祈る踊り、祖先を迎える行事などがあります。
その他の民俗芸能
民俗芸能には、神楽、田楽、風流といった分類だけでは整理できないものも数多くあります。
寺院で行われる延年、地域で演じられる能や狂言、農村歌舞伎、人形芝居、念仏芸能など、一つの芸能が複数の系統と関係していることもあります。
たとえば延年は、寺院の法会の後に、僧侶や人々が歌や舞、物語などを演じる芸能です。寺や仏をたたえる言葉と、その時代に人気のあったさまざまな芸能が組み合わされていました。
民俗芸能は、はっきりと一つの分類に当てはめるより、それぞれの歴史や信仰、地域との関係を見ながら理解することが大切です。
「民俗芸能」という言葉の歴史
現在では広く使われている「民俗芸能」という言葉ですが、一般的に使われるようになったのは昭和30年代以降です。
それ以前は、このような地域の芸能は、主に「郷土芸能」と呼ばれていました。
1958年、東京の日本青年館で行われた文部省芸術祭の「全国民俗芸能大会」で、「民俗芸能」という名称が公に使用されました。地域の芸能は、単なる舞台芸術ではなく、信仰、習慣、共同体の生活などと関係するため、民俗学の立場から研究する必要があると考えられるようになったのです。
ただし、地域の歌や踊りについて書かれた記録は、それ以前から存在します。
平安時代末期の大江匡房による『傀儡子記』、江戸時代の菅江真澄による『鄙廼一曲』、喜多村信節による『嬉遊笑覧』などにも、民間の芸能に関係する記録があります。
明治時代以降になると、民謡や踊りの本格的な調査が始まりました。大和田建樹の『日本歌謡類聚』や、文部省が編纂した『俚謡集』などが刊行され、各地の民間歌謡が集められました。
1925年には、日本青年館の開館に合わせて「郷土舞踊と民謡」の会が開かれました。この催しは、その後も地域芸能を紹介する大会として続けられました。
こうした研究や公演の積み重ねによって、民俗芸能という考え方が少しずつ広まっていったのです。
民俗芸能は変えてはいけないのか
民俗芸能では、古くから伝えられてきた形を繰り返すことが重視されます。そのため、演者が自由に内容を変えたり、新しい動きを加えたりすることは、一般の舞台芸術ほど簡単ではありません。
なぜなら、民俗芸能は一人の作品ではなく、地域全体で受け継いできた共有の文化だからです。
一方で、まったく変化せずに伝わってきたわけでもありません。楽器、衣装、演じる人、行われる時期などは、社会や生活の変化に合わせて少しずつ変わってきました。
人口減少によって演じる人が不足した地域では、学校の授業に取り入れたり、地域外の参加者を受け入れたりしています。女性が参加できなかった役を女性も担当するようになった例もあります。
大切なのは、形をまったく変えないことだけではありません。その芸能が何のために行われ、地域の人々にとってどのような意味をもってきたのかを理解しながら、次の世代へ伝えることです。
まとめ
- 民俗芸能は、地域の祭礼や行事で行われる歌・舞・踊り・演劇などである
- 豊作、豊漁、健康、安全などを神や仏に願うことから生まれた
- 自然環境や歴史、信仰の違いによって、地域独自の芸能が発達した
- 代表的な種類には、神楽、田楽、風流、獅子舞、祝福芸などがある
- 民俗芸能は、地域の記憶や人々のつながりを次の世代へ伝えている
民俗芸能は、地域の祭礼や行事の中で演じられる歌、舞、踊り、演劇などの芸能です。
その多くは、豊作、豊漁、雨、健康、安全などを神や仏に願い、願いがかなったことへの感謝を表すために生まれました。
日本は南北に長く、山や海に囲まれ、地域によって自然環境や暮らし方が異なります。そのため、同じ神楽や獅子舞でも、地域ごとに異なる形がつくられました。
民俗芸能は、単に昔の歌や踊りを残したものではありません。
そこには、自然とともに生きてきた人々の願い、信仰、歴史、生活の知恵、地域のつながりが込められています。
民俗芸能を知ることは、その土地で暮らしてきた人々が、何を恐れ、何を願い、どのように助け合ってきたのかを知ることでもあるのです。