自然な人体、整った比例、安定した建築。西洋美術の基準は古代に形づくられる

古典主義の芸術家たちは、古代ギリシャ・ローマ美術を理想的な手本としました。しかし、古代美術の何が、それほど高く評価されたのでしょうか。

その答えは、自然でありながら現実以上に整えられた人体、安定した比例を持つ建築、そして人物や物語をわかりやすい形で表す方法にあります。

古代ギリシャ以前のエーゲ美術から、古代ローマによる継承までの流れを見ます。専門用語だけでなく、その特徴を実際に確認できる代表作品も紹介します。

この記事でわかること

  • 古代ギリシャ以前のエーゲ美術
  • クーロスとコレーとは何か
  • 古典期とコントラポスト
  • 理想化された人体の特徴
  • ドーリア式・イオニア式・コリント式の違い
  • 古代ローマがギリシャ美術をどう受け継いだか
  • ギリシャ美術とローマ美術の違い

古代美術と古典主義は同じものではない

最初に、二つの言葉がどのようにつながっているのかを確かめておきましょう。

古代ギリシャ・ローマ美術そのものを、後世の「古典主義」と呼ぶわけではありません。古代の作品は、後の芸術家たちが模範として学んだ「古典」です。

その古典を研究し、秩序、調和、比例、理想的な人体などを受け継ごうとした考え方が、古典主義と呼ばれます。

古代美術と古典主義の関係

古代ギリシャ・ローマ美術は、後世の古典主義が手本とした美術です。古代の作品と、それを学び直した後世の運動は、分けて考える必要があります。

古代ギリシャ以前のエーゲ美術

古代ギリシャ美術が本格的に発展する前、エーゲ海周辺では、キクラデス文明、ミノア文明、ミュケナイ文明などが栄えていました。

これらの地域で作られた美術を、まとめて「エーゲ美術」と呼びます。エーゲ美術は古典主義そのものではありませんが、後のギリシャ文化へつながる重要な前史です。

キクラデス美術

エーゲ海のキクラデス諸島では、人体を単純な形で表した大理石の人物像が作られました。

顔の目や口、筋肉などはほとんど表されず、頭、胴体、腕、脚が、なめらかな輪郭によって示されています。

キクラデス美術の腕を組む女性像
キクラデス美術《腕を組む女性像》。前期キクラデスⅡ期、紀元前2800~2300年ごろ、大理石、高さ152cm、アテネ国立考古学博物館所蔵。
撮影:Zde出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 3.0原画像を縮小して使用

キクラデス美術の代表作品

《腕を組む女性像》

腕を胸の前で組んだ人物が、細部を省いた単純な形で表されています。人間の姿から大切な特徴を選び取り、静かでなめらかな像に仕上げた作品です。

ミノア文明とクノッソス宮殿

クレタ島では、ミノア文明が発展しました。その中心となった建物が、クノッソス宮殿です。

宮殿には多くの部屋、階段、通路、倉庫などが複雑に配置されていました。その構造から、ギリシャ神話に登場する怪物ミノタウロスの迷宮と結びつけて語られることがあります。

壁画には、牛を飛び越える人物や海の生き物が、明るい色彩で描かれています。後の古典期のような厳格な比例よりも、軽やかな動きや生命感が強く表されています。

クノッソス宮殿から出土した牛飛びの壁画
クノッソス宮殿出土《牛飛びの壁画》。紀元前1600~1450年ごろ、フレスコ画、イラクリオン考古学博物館所蔵。
撮影:Gleb Simonov出典:Wikimedia CommonsCC0 1.0Public domain原画像を縮小して使用

ミノア美術の代表作品

クノッソス宮殿《牛飛びの壁画》

人物が牛の背を飛び越える瞬間が描かれています。細長い人体と大きな曲線によって、儀式や競技の躍動感が表されています。

ミュケナイ文明

ギリシャ本土では、城壁に囲まれた都市を築いたミュケナイ文明が発展しました。

ミュケナイでは、金や銀を使った工芸品や武器、巨大な石を積み上げた城門などが作られています。

ミケーネ文明の金製葬送用マスク『アガメムノンの黄金のマスク』
ミケーネ文明《アガメムノンの黄金のマスク》。紀元前16世紀ごろ、金製、ミケーネの墓域A・第V号墓出土、アテネ国立考古学博物館所蔵。
撮影:Gleb Simonov出典:Wikimedia CommonsPublic domain原画像を縮小して使用

ミュケナイ美術の代表作品

《アガメムノンの黄金のマスク》

金の板を打ち出して作られた人物の仮面です。発見当初は、神話に登場する王アガメムノンのものと考えられましたが、現在ではその時代よりも古い作品とされています。

作品名にはアガメムノンの名が残っていますが、本人の仮面と確認されているわけではありません。ミュケナイ文明の高度な金属加工を示す作品として見る必要があります。

古代ギリシャ美術の始まり

ミュケナイ文明の衰退後、ギリシャ各地には「ポリス」と呼ばれる都市国家が成長しました。

神殿、彫刻、陶器などが再び発展し、神々や英雄、人間の体をどのように表すかが研究されていきます。

クーロスとコレー

古代ギリシャのアルカイック期には、正面を向いて立つ人物像が数多く作られました。

裸の若い男性像を「クーロス」、衣服を着た若い女性像を「コレー」と呼びます。

クーロス像は、腕を体の横に下ろし、片方の足を前へ出しています。しかし、体重は左右の足に均等にかかっているため、自然に歩き出す姿というより、決められた形で立つ人物に見えます。

古代ギリシャのアナヴィソスのクーロス像
《アナヴィソスのクーロス(クロイソスのクーロス)》。紀元前530年ごろ、パロス島産大理石、アッティカ地方アナヴィソス出土、アテネ国立考古学博物館所蔵。
撮影:George E. Koronaios出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0原画像を縮小して使用

クーロスの代表作品

《アナヴィソスのクーロス》

正面を向き、左足を前に出した青年像です。筋肉は細かく表されていますが、姿勢は左右対称に近く、まだ強い正面性が残っています。

古代ギリシャのペプロスのコレー像
《ペプロスのコレー》。紀元前530年ごろ、パロス島産大理石、高さ約1.2m、アテネのアクロポリス出土、アクロポリス博物館所蔵。
撮影:Marsyas出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 2.5原画像を縮小して使用

コレーの代表作品

《ペプロスのコレー》

衣服を着た若い女性が正面を向いて立っています。衣服の形や髪の表現から、当時の彫刻が色彩豊かに彩られていたこともわかります。

アルカイック・スマイル

アルカイック期の人物像には、口元にわずかな笑みを浮かべた作品が多く見られます。この表情を「アルカイック・スマイル」と呼びます。

人物が本当に喜んでいることを表したというより、顔に生命感を与えたり、人物が生きた存在であることを示したりするための表現と考えられています。

アルカイック・スマイルの代表作品

《アナヴィソスのクーロス》

口元に見られるわずかな笑みが特徴です。表情を細かく描き分ける以前に、顔へ生命感を与える決まった表現として使われました。

古代ギリシャの古典期

紀元前5世紀から紀元前4世紀後半頃にかけて、古代ギリシャの彫刻と建築は大きく発展しました。この時代を「古典期」と呼びます。

古典期の芸術家たちは、人体の骨格、筋肉、関節の動きを詳しく観察しました。その一方で、特定の一人をそのまま再現するのではなく、各部分のつり合いを考え、理想的な人間像を作ろうとしました。

コントラポスト

コントラポストとは、片方の足に体重をかけ、もう一方の足を休ませる立ち方です。

体重を支える足の側では腰が上がり、反対側では腰が下がります。それに合わせて肩にも傾きが生まれ、背骨はゆるやかな曲線を描きます。

左右を同じ形にした立ち姿から離れたことで、彫刻に自然な動きと生命感が生まれました。

古代ギリシャ彫刻のクリティオスの少年
《クリティオスの少年》。紀元前480年以後、パロス島産大理石、高さ約1.2m、アテネのアクロポリス出土、アクロポリス博物館所蔵。
クリティオスの作風であってだれの作品かは不明
撮影:Marsyas画像調整:Ismoon出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0
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初期のコントラポストを示す代表作品

《クリティオスの少年》

片方の足に体重をかけたことで、腰と肩に自然な傾きが生まれています。アルカイック期の左右対称な立像から、古典期の自然な人体へ移る変化を確認できます。

ポリュクレイトス作『槍を持つ人(ドリュフォロス)』のローマ時代の大理石模刻
ポリュクレイトス《槍を持つ人(ドリュフォロス)》。
ポンペイ出土のローマ時代の大理石模刻、ナポリ国立考古学博物館所蔵。
写真:Paolo Villa/出典:Wikimedia CommonsCC BY 4.0
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コントラポストの代表作品

ポリュクレイトス《槍を持つ人》

体重を支える脚と休ませる脚、緊張する腕と力を抜いた腕が組み合わされています。全身に異なる動きが生まれながら、全体のつり合いは保たれています。

人体の比例と「カノン」

古代ギリシャの彫刻家ポリュクレイトスは、理想的な人体を作るためには、頭、胴体、腕、脚などの間に正しい比例が必要だと考えました。

この比例の基準は「カノン」と呼ばれます。カノンには、規則、基準、尺度という意味があります。

特定の人物の体をそのまま再現するのではなく、各部分の関係を整えることによって、誰もが美しいと感じる人体を作ろうとしたのです。

カノンを示す代表作品

ポリュクレイトス《槍を持つ人》

頭の大きさ、胴体の長さ、腕と脚の関係が、全身として調和するように整えられています。自然な一人の人物というより、理想的な人体の基準を示した作品です。

運動する人体の理想化

古代ギリシャの芸術家は、立っている人物だけでなく、走る、戦う、競技をするといった運動中の人体も表しました。

ただし、現実の一瞬を写真のように切り取ったのではありません。複雑な動きの中から大切な形を選び取り、全身が最も美しく見える姿に仕上げています。

ミュロンの円盤投げをもとにしたローマ時代の大理石模刻
ミュロン《円盤投げ(ディスコボロス)》。
紀元前5世紀のギリシャのブロンズ原作をもとにした、紀元140年ごろのローマ時代の大理石模刻。
ローマ国立博物館マッシモ宮所蔵。
写真:Livioandronico2013/出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0/原画像を縮小して使用

運動する人体の代表作品

ミュロン《円盤投げ》

円盤を投げる直前の人物が、体を大きくひねっています。激しい動作でありながら、腕と胴体が大きな弧を描き、全身にまとまりが生まれています。

古代ギリシャ建築のオーダー

古代ギリシャでは、柱の太さ、高さ、柱頭の飾り、柱と柱の間隔、建物全体の比例などに一定の決まりが作られました。

この建築上の仕組みを「オーダー(建築様式)」と呼びます。

代表的なオーダーは、ドーリア式、イオニア式、コリント式です。

オーダー 特徴 代表建築
ドーリア式 太く力強く、装飾が少ない パルテノン神殿
イオニア式 柱頭に渦巻き形の装飾がある エレクテイオン
コリント式 アカンサスの葉を使った華やかな柱頭 オリュンピエイオン

ドーリア式

ドーリア式は、太く力強い柱と、比較的簡素な柱頭を特徴とします。

アテネのアクロポリスに建つパルテノン神殿

アテネのアクロポリスに建つパルテノン神殿。
写真:Rob & Lisa Meehan出典:Wikimedia CommonsCC BY 2.0

ドーリア式の代表建築

パルテノン神殿

外側には力強いドーリア式の柱が並びます。柱の間隔や建物全体の比例が整えられ、重さと安定感を持ちながら、過度に重く見えないよう設計されています。

イオニア式

イオニア式は、柱頭に渦巻き形の装飾を持ち、ドーリア式よりも細く優美な印象を与えます。

アテネのアクロポリスに建つエレクテイオン神殿
エレクテイオン。紀元前421~406年、イオニア式神殿、アテネのアクロポリス。
撮影:Jebulon
出典:Wikimedia CommonsCC0 1.0原画像を縮小して使用

イオニア式の代表建築

エレクテイオン

アテネのアクロポリスに建てられた神殿です。イオニア式の細い柱に加え、女性像を柱として使った「カリアティードの柱廊」でも知られています。

コリント式

コリント式は、植物のアカンサスの葉を使った華やかな柱頭を特徴とします。

古代ギリシャで生まれましたが、特に古代ローマの建築で広く使われるようになりました。

アテネのオリュンピエイオンに残るコリント式の列柱
アテネのオリュンピエイオン(オリンピア=ゼウス神殿)。古代ギリシャ最大級の神殿で、現在はコリント式の列柱が残る。
撮影:Ava Βabili
出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0原画像を縮小して使用

コリント式の代表建築

アテネのオリュンピエイオン

巨大なコリント式の柱が並ぶ、ゼウスをまつる神殿です。建設は長期間にわたり、現在残る大規模な姿はローマ時代の完成によるものです。

パルテノン神殿と目の錯覚

アテネのアクロポリスに建てられたパルテノン神殿は、古代ギリシャ建築を代表する建物です。

一見すると、まっすぐな柱と床によって作られているように見えます。しかし、実際には柱や床にわずかなふくらみや曲線が加えられています。

柱を完全な直線にすると、中央が細くへこんで見えることがあります。そのため、柱の中央をわずかに太くする「エンタシス」と呼ばれる調整が使われました。

床も完全な水平ではなく、中央がわずかに高くなっています。数学的な直線をそのまま使うのではなく、人間の目に最も整って見えるように修正していたのです。

エンタシスを確認できる代表建築

パルテノン神殿

柱の中央にわずかなふくらみを与えることで、遠くから見たときに柱がまっすぐで安定して見えるよう調整されています。

黒像式と赤像式

古代ギリシャの大きな壁画や板絵は、ほとんど残っていません。そのため、陶器の表面に描かれた絵は、当時の絵画表現を知る重要な資料です。

黒像式

黒像式では、人物や動物を黒く塗り、細かな部分を鋭い道具で線として刻みました。

エクセキアス さいころ遊びをするアキレウスとアイアス
エクセキアス《さいころ遊びをするアキレウスとアイアス》。紀元前540~530年ごろ、アッティカ黒像式アンフォラ、ヴルチ出土、バチカン美術館グレゴリアーノ・エトルスコ博物館所蔵。
作者:エクセキアス
撮影:Daderot出典:Wikimedia CommonsCC0 1.0原画像を縮小して使用

黒像式の代表作品

エクセキアス《さいころ遊びをするアキレウスとアイアス》

二人の英雄が武器を身につけたまま、盤上の遊びに集中しています。黒い人物の内部に刻まれた細い線によって、衣服や武具が詳しく表されています。

赤像式

赤像式では、背景を黒く塗り、人物の部分を陶器の赤い色で残しました。

人物の内部を筆で描けるため、筋肉、衣服、髪、体の動きを、黒像式よりも自由に表せるようになりました。

エウフロニオスの赤像式クラテールに描かれた、サルペドンの遺体を運ぶヒュプノスとタナトス
エウフロニオス《ヒュプノスとタナトスに運ばれるサルペドンの遺体》。紀元前515年ごろ、アッティカ赤像式の萼形クラテール、チェルヴェーテリ国立考古学博物館所蔵。
陶工:エウクシテオス絵付師:エウフロニオス
撮影:Jaime Ardiles-Arce出典:Wikimedia CommonsPublic domain原画像を縮小して使用

赤像式の代表作品

エウフロニオス《ヒュプノスとタナトスに運ばれるサルペドンの遺体》

人物の筋肉や体の重さが、筆による細かな線で表されています。赤像式によって、人体をより立体的で自然に描けるようになったことがわかります。

古代ギリシャ美術は静かな理想だけではない

後世の古典主義は、古代ギリシャ美術の中でも、古典期の秩序や均衡を特に高く評価しました。

しかし、古代ギリシャ美術全体が、静かで落ち着いた作品だけだったわけではありません。

アレクサンドロス大王の死後に広がったヘレニズム美術では、激しい動き、苦痛、勝利、恐怖などが強く表されるようになります。

ルーヴル美術館に展示されている古代ギリシャ彫刻『サモトラケのニケ』

《サモトラケのニケ》。紀元前2世紀初頭、大理石、サモトラケ島出土、ルーヴル美術館所蔵。
作者:不詳撮影:Marie-Lan Nguyen出典:Wikimedia CommonsPublic domain
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ヘレニズム美術の代表作品

《サモトラケのニケ》

翼を広げた勝利の女神が、船の先に降り立つ姿を表しています。衣服が風に押しつけられ、強い前進運動が感じられます。

バチカン美術館に展示されている古代彫刻『ラオコーン群像』
《ラオコーン群像》。古代の大理石群像、バチカン美術館ピオ・クレメンティーノ美術館所蔵。
作者:アゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスとされる
撮影:Wilfredor出典:Wikimedia CommonsCC0 1.0原画像を縮小して使用

激しい感情表現の代表作品

《ラオコーン群像》

神官ラオコーンと二人の息子が、大蛇に襲われる場面です。ねじれた人体と苦痛の表情によって、古典期とは異なる激しい感情が表されています。

エトルリア美術から古代ローマへ

ローマが大きく発展する前、イタリア半島中部ではエトルリア人が都市文明を築いていました。

エトルリア人は、ギリシャ美術から影響を受けながら、墓室壁画や彫刻、金属工芸を発展させました。ローマも、エトルリアの宗教、都市計画、建築技術などから影響を受けています。

エトルリア美術の代表作『夫婦の棺』
エトルリア美術《夫婦の棺》。紀元前530~520年ごろ、多彩色テラコッタ、チェルヴェーテリのバンディタッチャ墓地出土、ヴィラ・ジュリア国立エトルリア博物館所蔵。
作者:不詳
撮影:Sailko出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0原画像を縮小して使用

エトルリア美術の代表作品

《夫婦の棺》

夫婦が宴会用の寝台に横たわり、親しげに並ぶ姿が表されています。古代ギリシャ彫刻とは異なる、明るく人間的な表情が特徴です。

古代ローマによるギリシャ美術の継承

古代ローマはギリシャ世界を支配すると、ギリシャの神話、建築、彫刻、絵画を積極的に取り入れました。

多くのギリシャ彫刻がローマ時代に複製されています。現在知られているギリシャ彫刻の中には、失われた原作ではなく、ローマ時代の複製によって姿が伝わったものもあります。

ただし、ローマ人はギリシャ美術をそのままコピーしたわけではありません。政治、宗教、都市生活、皇帝の権威など、自分たちの社会に必要な表現へ作り変えました。

古代ローマの肖像彫刻

古代ギリシャの彫刻では、若く均整のとれた理想的な人体が好まれました。

一方、古代ローマの肖像彫刻では、顔のしわ、頬のたるみ、髪形、年齢など、その人物らしい特徴が細かく表されることがあります。

このように、人物の外見を美化しすぎず、個人の特徴を強く表す方法を「写実的肖像」と呼びます。

古代ローマの肖像彫刻『オトリコリの老人』

《オトリコリの老人(通称:トルロニアの貴族像)》。1世紀前半ごろ、大理石、オトリコリ出土と伝えられる、トルロニア・コレクション所蔵。
作者:不詳
撮影:Marie-Lan Taÿ Pamart出典:Wikimedia CommonsCC BY 4.0原画像を縮小して使用

ローマの写実的肖像を示す代表作品

《ローマの貴族の肖像》

額や頬のしわ、くぼんだ目などが細かく表されています。年齢や経験を隠さずに示すことが、家柄や政治的な信頼を表す手段にもなりました。

皇帝像における写実と理想化

ローマの皇帝像では、本人に似た顔と、神や英雄を思わせる理想的な肉体が組み合わされることがあります。

皇帝が実際にどのような体格だったかを正確に記録することよりも、永遠に若く、強く、正統な支配者として見せることが重視されました。

バチカン美術館に展示されているプリマポルタのアウグストゥス像
《プリマ・ポルタのアウグストゥス》。
紀元1世紀初めごろの大理石像、バチカン美術館所蔵。
写真:Justin Benttinen出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0
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ローマ皇帝像の代表作品

《プリマ・ポルタのアウグストゥス》

皇帝アウグストゥスが、軍を指揮する姿で表されています。顔には本人らしさを残しながら、肉体は若く理想的に整えられています。

足元には愛の神クピドが置かれ、アウグストゥスが神話上の英雄とつながる存在であることも示されています。

ローマ建築の発展

ローマ人はギリシャ建築の柱や比例を受け継ぎながら、アーチ、ヴォールト、ドーム、コンクリートを使った大規模な建築を発展させました。

古代ギリシャの神殿が、外側から見た柱と建物の美しさを重視したのに対し、ローマでは広い内部空間を持つ実用的な建築が数多く作られました。

アーチ

アーチは、石やれんがを弓形に組み、上からかかる重さを左右へ分ける構造です。

フランス南部に残る古代ローマの水道橋ポン・デュ・ガール
ポン・デュ・ガール。紀元1世紀、古代ローマの水道橋、フランス・ガルド県。
撮影:Wolfgang Staudt出典:Wikimedia CommonsCC BY 2.0原画像を縮小して使用

アーチを使った代表建築

ポン・デュ・ガール

水を都市へ運ぶために建てられた水道橋です。何層ものアーチを重ねることで、高さと強度を両立しています。

ヴォールト

ヴォールトとは、アーチを奥へ連続させた天井構造です。

木材だけでは覆えない広い空間を、石やコンクリートで覆えるようになりました。

ローマに残るコロッセウム(フラウィウス円形闘技場)の外観
コロッセウム(フラウィウス円形闘技場)。紀元1世紀、イタリア・ローマ。
撮影:Silviomerci1971出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0原画像を縮小して使用

ヴォールトを確認できる代表建築

コロッセウム

内部の通路や観客席の下に、アーチとヴォールトが組み合わされています。大勢の観客を効率よく移動させる実用的な構造です。

ドーム

ドームは、半球形の屋根によって大きな内部空間を覆う構造です。

ローマに残る古代建築パンテオンの正面外観
パンテオン。紀元118~125年、イタリア・ローマ。ハドリアヌス帝時代に再建された古代ローマ建築。
撮影:Nono vlf出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0原画像を縮小して使用

ローマのドーム建築を代表する作品

パンテオン

円形の壁の上に、巨大なドームが載せられています。天井中央の円形の開口部から光が入り、時間とともに室内を移動します。

パンテオンの内部は、ドームの直径と床から頂点までの高さがほぼ対応し、巨大な球体が収まるような比例で設計されています。

ローマの円形闘技場

ローマでは、剣闘士の試合や見世物を行うための巨大な円形闘技場も建設されました。

ローマに残るコロッセウム(フラウィウス円形闘技場)の外観
コロッセウム(フラウィウス円形闘技場)。紀元1世紀、イタリア・ローマ。
撮影:Silviomerci1971出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0原画像を縮小して使用

ローマの円形闘技場を代表する建築

コロッセウム

外側にはアーチが規則的に並び、階ごとに異なる柱の形式が重ねられています。ギリシャのオーダーとローマのアーチ技術を組み合わせた建物です。

ローマ絵画とポンペイ

古代ローマの絵画を知る重要な場所が、ヴェスヴィオ火山の噴火によって埋もれたポンペイなどの都市です。

住宅の壁には、神話、庭園、建築、人物、静物などが描かれました。柱や窓、遠くの風景を本物のように描き、実際の部屋よりも広い空間が続いているように見せる作品もあります。

ポンペイの秘儀荘に描かれたディオニュソスの秘儀図
ポンペイの秘儀荘《ディオニュソスの秘儀図》。紀元前1世紀、フレスコ画、イタリア・ポンペイ。
作者:不詳
撮影:Gary Todd出典:Wikimedia CommonsPublic domain原画像を縮小して使用

ローマ壁画の代表作品

ポンペイ、秘儀荘《ディオニュソスの秘儀》

赤い壁を背景に、等身大に近い人物が連続して描かれています。室内の壁が、儀式の行われる別の空間へ開いているような印象を与えます。

モザイクによる絵画表現

古代ローマでは、小さな石やガラス片を並べて図柄を作る「モザイク」も発達しました。

アレクサンドロス大王とペルシア王ダレイオス3世の戦いを描いたアレクサンドロス・モザイク
《アレクサンドロス大王の戦い(アレクサンドロス・モザイク)》。紀元前2世紀末ごろ、床モザイク、ポンペイの「ファウヌスの家」出土、ナポリ国立考古学博物館所蔵。
作者:不詳
撮影:Carole Raddato出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 2.0原画像を縮小して使用

ローマ時代のモザイクを代表する作品

《アレクサンドロス大王の戦い》

アレクサンドロス大王とペルシア王ダレイオスの戦いを描いています。多数の人物、馬、武器が重なり、戦場の緊張と混乱が細かな石片によって表されています。

ギリシャ美術とローマ美術の違い

古代ギリシャ美術 古代ローマ美術
理想的な人体の比例を追求した 理想化と写実的な肖像を使い分けた
神々、英雄、競技者を多く表した 皇帝、市民、祖先、国家の歴史も表した
柱と梁による神殿建築が発達した アーチ、ヴォールト、ドームが発達した
建物の外観と比例を重視した 広い内部空間と実用性を重視した
美の基準を形づくった その基準を帝国各地へ広めた

ただし、ギリシャは理想、ローマは写実と、完全に分けられるわけではありません。

古代ギリシャにも個性的な肖像や激しい感情表現があり、古代ローマにも理想化された神や皇帝の像があります。表では、それぞれの美術で特に強く発展した傾向を比べています。

なぜ古代美術は後世の手本になったのか

後世の芸術家たちは、古代ギリシャ・ローマ美術の中に、人体や建築を美しく見せる一定の秩序があると考えました。

《槍を持つ人》では、人体の左右に異なる動きを与えながら、全身のつり合いを保っています。パルテノン神殿では、人間の目に最も安定して見えるよう、柱や床が細かく調整されています。

ローマの《プリマ・ポルタのアウグストゥス》では、古代ギリシャの理想的な人体が、政治的な権威を示すために使われました。パンテオンでは、古典的な比例とローマの建築技術が結びついています。

古代美術は、単に美しい作品として評価されたのではありません。

人体、建築、物語、政治的な象徴を、まとまりのある形で表す方法を示したものとして、後の芸術家たちに学ばれたのです。

代表作品から流れを振り返る

時代・用語 代表作品 確認できる特徴
キクラデス美術 《腕を組む女性像》 人体を単純な形で表す方法
ミノア美術 《牛飛びの壁画》 軽やかな動きと色彩
ミュケナイ美術 《アガメムノンの黄金のマスク》 高度な金属加工
クーロス 《アナヴィソスのクーロス》 正面性とアルカイック・スマイル
コレー 《ペプロスのコレー》 衣服を着た女性立像
コントラポスト 《槍を持つ人》 自然な立ち姿と全身のつり合い
理想的な運動 《円盤投げ》 激しい動きを美しい形で表す方法
ドーリア式 パルテノン神殿 力強い柱と調和した比例
イオニア式 エレクテイオン 細い柱と渦巻き形の柱頭
ヘレニズム美術 《サモトラケのニケ》 激しい動きと空間への広がり
ローマ皇帝像 《プリマ・ポルタのアウグストゥス》 理想的な人体と政治的権威
ローマのドーム パンテオン 巨大な内部空間と幾何学的比例
ローマ壁画 《ディオニュソスの秘儀》 人物と建築的空間の表現

まとめ

古代ギリシャ以前のエーゲ美術では、単純化された人物像、動きのある壁画、精巧な金属工芸などが作られました。

古代ギリシャのアルカイック期には、クーロスとコレーが作られ、古典期にはコントラポストと理想的な人体の比例が発達しました。

ポリュクレイトスの《槍を持つ人》では、自然な立ち姿とつり合いのとれた人体を確認できます。パルテノン神殿では、ドーリア式の柱と、目の錯覚まで考えた建築上の工夫を見ることができます。

古代ローマはギリシャ美術を受け継ぎながら、写実的な肖像、皇帝の権威を示す像、アーチ、ヴォールト、ドームを使った大規模建築を発展させました。

古代ギリシャ・ローマ美術は、後世の古典主義そのものではありません。

人体、建築、物語を、自然でありながらまとまりのある形で表す方法を示し、後世の芸術家たちが繰り返し学び直した「古典」だったのです。

次の記事

次回は、古代ギリシャ・ローマ美術が中世を通してどのように受け継がれ、ルネサンスと17世紀フランスの古典主義へつながったのかを見ていきます。

▶ 古代美術の復興|ルネサンスから17世紀フランス古典主義へ(予定)