古代の美は失われたのではなく、時代に合わせて新しい姿へ生まれ変わった。

古代ギリシャ・ローマでは、自然な人体表現や、柱と建物の比例が整った建築が発展しました。しかし、西ローマ帝国が滅びた後、西ヨーロッパではキリスト教を中心とする中世社会が形づくられていきます。

それでは、古代に生まれた人体表現や建築の技術は、中世に入ると完全に失われてしまったのでしょうか。

実際には、古代文化がすべて消えたわけではありません。東ローマ帝国や修道院、宮廷、写本、各地に残ったローマ建築などを通して、古代の知識と表現は、別の形を取りながら受け継がれました。

やがてイタリアでは、古代の文学や哲学、美術を新しい目で見直すルネサンスが始まります。古代の人体や建築は、そのまま再現されたのではなく、キリスト教、人間への関心、都市社会、新しい技術と結びつきながら、当時の美術へ作り変えられていきました。

この記事では、古代文化がルネサンスでどのようによみがえり、17世紀フランスの古典主義や美術アカデミーへつながったのかを、代表作品の見え方とともにたどります。

この記事でわかること

  • 中世にも古代文化が残っていた理由
  • ルネサンスと人文主義の関係
  • 遠近法やコントラポストが作品をどう変えたか
  • ルネサンスと古典主義の違い
  • プーサンが目指した17世紀の古典主義
  • フランス王立絵画彫刻アカデミーの役割

中世に古代美術は失われたのか

西ローマ帝国が滅びた後、西ヨーロッパではキリスト教を中心とする社会が広がりました。

中世のキリスト教美術では、古代ギリシャのように自然で理想的な人体を描くことよりも、聖書の教えや神聖な意味を伝えることが重視されました。

たとえば、絵の中の人物は、現実の遠近関係ではなく、宗教上の重要さによって大きさが変えられることがあります。キリストや皇帝を大きく、従う人々を小さく描けば、誰が中心人物なのかを、見る人はすぐに理解できます。

背景には、現実の空や建物ではなく、金色が広く使われました。金色の背景には、地上のどこかにある場所ではなく、時間や距離を超えた神聖な世界を表す意味がありました。

中世の芸術家は人体を描けなかったのか

中世の人物画を見ると、古代ギリシャやルネサンスの作品に比べて、体が平面的で、足が床を踏んでいる感じが弱く見えることがあります。

そのため、以前は「中世の芸術家は古代の技術を失った」と説明されることもありました。しかし、中世美術の目的は、目の前の人間や風景をそのまま再現することではありません。

神や聖人が普通の人間とは違う存在であること、皇帝の権威が神から与えられていることなどを伝えるため、現実とは異なる見せ方が選ばれました。

自然に描けなかったのではなく、宗教的な意味を強く伝えるために、古代とは違う形や色が使われたのです。

サン・ヴィターレ聖堂のモザイク。中央の皇帝ユスティニアヌスを聖職者、廷臣、兵士が囲んでいる
《皇帝ユスティニアヌスと廷臣たち》。6世紀中頃(547年頃)、壁面モザイク、サン・ヴィターレ聖堂内陣北壁、イタリア・ラヴェンナ。
作者:不詳
撮影:Username.Ruge出典:Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0
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中世キリスト教美術の代表作品

サン・ヴィターレ聖堂《皇帝ユスティニアヌスと廷臣たち》

中央の皇帝は紫色の衣をまとい、正面を向いて立っています。その左右には聖職者や兵士が並びますが、全員の足元は少し重なり、現実の床の上に立っているというより、金色の光の中に浮かんでいるように見えます。

人物の体に自然なねじれや奥行きはほとんどありません。しかし、皇帝を中心に左右へ人々が並ぶことで、誰が最も重要なのかがひと目で伝わります。

古代文化は形を変えて残っていた

古代ギリシャ・ローマの文化は、中世に完全に消えたわけではありません。

東ローマ帝国、現在一般にビザンティン帝国と呼ばれる国では、ローマ帝国の政治制度や建築技術、ギリシャ語の文化が受け継がれました。

西ヨーロッパでも、修道院や宮廷で古代の書物が書き写されています。聖書だけでなく、古代ローマの文学、歴史、哲学なども、羊皮紙に一文字ずつ書き写され、後の時代へ伝えられました。

また、ヨーロッパ各地に残る神殿、円形闘技場、水道橋、凱旋門なども、後世の人々が古代建築を知る手がかりとなりました。

中世は、古典文化が完全に途切れた時代ではありません。古代の知識や技術が、キリスト教社会の中で別の役割を与えられながら残った時代だったのです。

ビザンティン建築

ビザンティン建築とは、古代ローマのドームやアーチの技術を受け継ぎながら、キリスト教の礼拝に合う内部空間を作った建築です。

外から見ると、大きな中央ドームと、その周囲に重なる小さな半ドームが、山のように盛り上がって見えます。内部へ入ると、柱や壁が重い屋根を支えているはずなのに、天井は高く、上から光が差し込み、巨大なドームが空中に浮かんでいるように感じられます。

イスタンブールに建つハギア・ソフィア。巨大な中央ドーム、半ドーム、四本のミナレットが見える
ハギア・ソフィア。532~537年、初期ビザンティン建築、トルコ・イスタンブール。
設計:トラレスのアンテミオス、ミレトスのイシドロス
撮影:Arild Vågen
出典:Wikimedia Commons
CC BY-SA 3.0
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ビザンティン建築の代表作品

ハギア・ソフィア大聖堂

建物の中央には、直径約31メートルの大きなドームがあります。ドームの下には窓が並び、そこから光が差し込むため、石でできた巨大な屋根が壁から離れて浮いているように見えます。

古代ローマの大空間を作る技術が、キリスト教の神聖な光を感じさせる建築へ使われた代表例です。

ルネサンスとは何か

14世紀から16世紀頃のイタリアでは、古代ギリシャ・ローマの文学、哲学、建築、美術などをあらためて学ぶ動きが広がりました。

この文化運動を「ルネサンス」と呼びます。

ルネサンスは、「再生」や「復興」を意味する言葉です。ただし、古代文化をそのまま再現したわけではありません。

古代の知識を、キリスト教、人間への関心、都市社会、新しい科学や技術と結びつけ、当時の人々に必要な文化へ作り変えました。

絵画では、人物が床の上に立ち、建物の奥へ空間が続くように描かれるようになります。彫刻では、人物の体重が片方の足へ移り、腰や肩が自然に傾く姿が復活しました。

建築では、古代ローマ風の柱や半円形のアーチ、左右の釣り合いが取れた正面が使われ、建物全体が落ち着いて見えるようになりました。

ラファエロ作『アテネの学堂』
ラファエロ《アテネの学堂》。1509~1511年ごろ、フレスコ画、バチカン宮殿「署名の間」。
作者:ラファエロ出典:Wikimedia CommonsPublic domain
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ルネサンスを表す代表作品

ラファエロ《アテネの学堂》

広い画面の奥には、巨大な丸いアーチと、半円形の天井が続いています。中央にはプラトンとアリストテレスが並び、その周囲で古代の哲学者たちが、本を読み、議論し、床にかがんで図形を描いています。

人物はただ横一列に並ぶのではなく、階段の上や左右の空間に分かれ、それぞれが学問に取り組む姿で描かれています。古代の知識が、生きた人間の活動としてよみがえったように見える作品です。

ルネサンスが発展したイタリアの都市

当時のイタリアは、一つの国家ではなく、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、ローマなど、多くの都市や国に分かれていました。

都市では商業や金融業が発達し、商人や銀行家が大きな力を持つようになります。教会だけでなく、都市政府、貴族、裕福な商人も芸術家へ作品を依頼しました。

新しい礼拝堂を建てたり、祭壇画を作らせたり、家族の肖像を描かせたりすることは、信仰を示すだけでなく、自分の家や都市の豊かさ、名声、政治的な力を見せることにもなりました。

パトロン

パトロンとは、芸術家に作品を依頼し、制作に必要なお金や場所を提供する支援者です。

フィレンツェのメディチ家は、多くの芸術家や学者を支援した代表的なパトロンです。

芸術家が大きな板絵を描き、大理石を買い、何年もかけて建物を完成させるには、多くのお金と人手が必要でした。ルネサンス美術は、芸術家個人の才能だけで生まれたのではなく、作品を求めた教会、都市、商人、支配者の存在によって発展したのです。

サンドロ・ボッティチェリの絵画《春》。オレンジの木立の中に、ヴィーナス、キューピッド、三美神、メルクリウス、フローラ、クロリス、ゼピュロスが描かれている
サンドロ・ボッティチェリ《春(プリマヴェーラ)》。1480年頃、板に油性テンペラ、207×319センチメートル、ウフィツィ美術館。
作者:サンドロ・ボッティチェリ
画像提供:Google Arts & Culture
出典:Wikimedia Commons
Public domain
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メディチ家の文化と関係する代表作品

サンドロ・ボッティチェリ《春》

画面には、オレンジの木が並ぶ暗い森と、足元を埋めるほど多くの花が描かれています。中央には愛と美の女神ヴィーナスが立ち、その周囲で三美神や春の女神フローラが動いています。

宗教画ではなく、古代神話の神々が、宮廷の教養や恋愛観を伝えるために描かれた作品です。

人文主義とは何か

ルネサンスを支えた考え方の一つが、「人文主義」です。

人文主義とは、古代ギリシャ・ローマの文学、歴史、哲学などを学び、人間の理性や能力、社会での生き方を考えようとする思想です。

人文主義は、神を否定して人間だけを重視する考え方ではありません。多くの人文主義者はキリスト教徒であり、信仰を持ちながら、人間に与えられた知性や能力を高く評価しました。

この考え方は、美術にも変化を与えました。人物は、聖書の役割を示す記号としてだけでなく、考え、迷い、決断する一人の人間として描かれるようになります。

顔の表情、手の動き、視線の向きなどによって、その人物が何を考えているのかを伝えようとする作品が増えていきました。

ラファエロ作『アテネの学堂』ラファエロ《アテネの学堂》。1509~1511年ごろ、フレスコ画、バチカン宮殿「署名の間」。
作者:ラファエロ出典:Wikimedia CommonsPublic domain
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人文主義を象徴する代表作品

ラファエロ《アテネの学堂》

中央のプラトンは指を上へ向け、目に見えない理想の世界を示すように歩いています。隣のアリストテレスは手のひらを地面へ向け、目の前の現実を重視する姿勢を表しています。

手の動きだけで、二人の考え方の違いが伝わるように描かれています。

古代建築を学んだブルネレスキ

初期ルネサンスを代表する建築家が、フィリッポ・ブルネレスキです。

ブルネレスキはローマを訪れ、神殿、柱、アーチ、ドームなど、古代ローマ建築を研究しました。

古代の形をそのまままねるのではなく、新しい建物を作るための技術として取り入れています。

フィレンツェ大聖堂の巨大なドーム

フィレンツェ大聖堂の中心には、八角形の大きな空間がありました。しかし、その上にどのように巨大な屋根をかけるかが長い間決まりませんでした。

地上から見上げると、ドームの頂点は100メートルを超える高さにあります。これほど大きな屋根を、地上から木の足場で支えながら作ることは困難でした。

ブルネレスキは、外側と内側の二枚の殻を持つ二重構造を使い、れんがを組みながら、屋根自体が互いを支える方法を考えました。

フィレンツェ大聖堂のブルネレスキ設計によるドーム。赤褐色の外殻、白い大理石の稜線、頂部のランタンが見える
フィリッポ・ブルネレスキ、フィレンツェ大聖堂のドーム。1420~1436年、石・煉瓦による八角形の二重殻構造、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、イタリア・フィレンツェ。
設計:フィリッポ・ブルネレスキ
撮影:Jebulon
出典:Wikimedia CommonsCC0 1.0
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ブルネレスキの代表建築

フィレンツェ大聖堂のドーム

町の遠くから見ると、赤い瓦に覆われた巨大な丸屋根が、家々の屋根の上へ大きく盛り上がっています。白い石の筋が八方向へ伸び、ドーム全体の形をはっきり見せています。

古代ローマの大建築を学びながら、中世以来の大聖堂に新しい技術で屋根を完成させた建築です。

柱とアーチが作る静かなリズム

ブルネレスキは、柱、半円形のアーチ、明確な比例を使い、静かで安定した建築も作りました。

フィレンツェの捨て子養育院。細い円柱に支えられた半円アーチが規則正しく並ぶ外部ロッジア
フィリッポ・ブルネレスキ設計、捨て子養育院(オスペダーレ・デッリ・イノチェンティ)。1419年着工、ブルネレスキは1419~1427年に工事を指揮、漆喰・ピエトラ・セレーナ、イタリア・フィレンツェ。
設計:フィリッポ・ブルネレスキ
撮影:Yair Haklai
出典:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0
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初期ルネサンス建築の代表作品

ブルネレスキ《捨て子養育院》

建物の正面には、細い柱が同じ間隔で並び、その上に半円形のアーチが繰り返されています。柱の高さと柱同士の間隔が近いため、一つひとつの空間が正方形に近く見えます。

歩道を歩くと、柱とアーチが一定の速さで次々に現れ、音楽の拍子のような落ち着いたリズムを感じられます。

線遠近法による空間の表現

線遠近法とは、平らな画面の上に、奥行きのある空間を表す方法です。

遠くにあるものを小さくし、実際には平行な線が、画面の奥にある一点へ集まるように描きます。この線が集まる点を「消失点」と呼びます。

たとえば長い廊下に立つと、左右の壁や床の線が、遠くへ行くほど狭くなり、最後には一点で合わさるように見えます。線遠近法は、その見え方を絵の中に取り入れた方法です。

線遠近法
線遠近法イメージ

古代ローマの壁画にも奥行きを表す工夫はありましたが、ルネサンス期には、画面上の線と一点の関係が数学的な方法として明確になりました。

マザッチョの壁画《聖三位一体》。遠近法で描かれた礼拝堂の中に、父なる神、十字架上のキリスト、聖母マリア、聖ヨハネ、寄進者が並び、下部には骸骨を横たえた石棺が描かれている
マザッチョ《聖三位一体》。1425~1428年頃、フレスコ、667×317センチメートル、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂、イタリア・フィレンツェ。
作者:マザッチョ
撮影者表記:Oursana
出典:Wikimedia Commons
Public domain
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線遠近法の代表作品

マザッチョ《聖三位一体》

画面の奥には、石でできた礼拝堂のような空間があります。天井の格子、左右の柱、壁の線は、中央にある一つの消失点へ向かっています。

実際には平らな壁に描かれていますが、壁の向こうに深い部屋があり、その奥に十字架が立っているように見えます。

マザッチョと重さのある人体

画家マザッチョは、遠近法だけでなく、光と影によって人物の体を立体的に表しました。

中世の人物画では、衣服の線が体の表面に置かれ、体の厚みがわかりにくい作品もありました。マザッチョの人物には、光が当たる明るい面と、光が届かない暗い面があります。

肩、胸、腹、脚に明暗が加わることで、人物が薄い紙のように見えず、重さを持つ肉体として感じられます。

マザッチョのフレスコ画《楽園追放》。剣を持つ天使に追われ、顔を覆うアダムと叫びながら体を隠すエヴァが楽園の門から歩み出ている
マザッチョ《楽園追放(アダムとエヴァの楽園追放)》。1424~1427年頃、フレスコ、約208×88センチメートル、ブランカッチ礼拝堂、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂、イタリア・フィレンツェ。
作者:マザッチョ
撮影:Yair Haklai
出典:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0
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立体的な人体表現の代表作品

マザッチョ《楽園追放》

アダムは両手で顔を覆い、肩を落として歩いています。エヴァは口を大きく開け、胸と下腹部を隠しながら、泣き叫ぶように前へ進んでいます。

左上から差す光によって、体の片側は明るく、反対側は暗くなっています。筋肉と体の丸みがはっきりし、二人が本当に重い足取りで歩いているように見えます。

ドナテッロとコントラポストの復活

彫刻家ドナテッロは、古代ギリシャ・ローマの彫刻を研究し、自然な人体の動きをルネサンス彫刻へ取り入れました。

コントラポストとは、片方の足に体重をかけ、もう一方の足を休ませる立ち方です。

体重を支える側では腰が上がり、反対側では腰が下がります。肩もわずかに傾くため、人物が両足をそろえて固く立つのではなく、休みながら自然に立っているように見えます。

ドナテッロのブロンズ彫刻《ダヴィデ》。帽子と脚当てだけを身につけた若者が剣を持ち、足元のゴリアテの頭に片足を置いて立っている
ドナテッロ《ダヴィデ(ブロンズ像)》。1435~1440年頃、ブロンズ・一部金彩、高さ約158センチメートル、バルジェロ国立美術館、イタリア・フィレンツェ。
作者:ドナテッロ
撮影:Yair Haklai
出典:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0
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ルネサンスにおけるコントラポストの代表作品

ドナテッロ《ダヴィデ》

若いダヴィデは、右脚で体を支え、左脚を曲げています。腰は片側へ押し出され、上半身は反対側へわずかに傾いています。

足元には倒された敵ゴリアテの頭がありますが、ダヴィデの体は戦いの緊張から解放され、静かに休んでいるように見えます。

この作品は、古代の人体表現をそのまま再現したものではありません。

旧約聖書の英雄ダヴィデを、古代神話の若い神や英雄のような裸体で表しています。古代美術とキリスト教の内容が、一つの像の中で結びついているのです。

盛期ルネサンス

15世紀末から16世紀初めにかけて、ルネサンス美術は大きな発展を迎えました。この時代を「盛期ルネサンス」と呼びます。

代表的な芸術家は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロです。

三人の表現は同じではありませんが、自然の観察、理想的な人体、奥行きのある空間、安定した構図などを高い水準で組み合わせました。

レオナルド・ダ・ヴィンチとスフマート

レオナルド・ダ・ヴィンチは、人体、植物、水、光、機械などを細かく観察しました。

スフマートとは、人物や物の輪郭を線ではっきり囲まず、光と影を少しずつ変化させながら、煙のように柔らかく見せる方法です。

顔の輪郭を黒い線で囲むのではなく、頬の明るさが背景の暗さへ少しずつ溶け込むように描きます。そのため、人物の肌に空気が触れているような自然な見え方が生まれます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画《モナ・リザ》。暗い衣服を着た女性が手を重ねて座り、背後には道や川、岩山のある遠い風景が描かれている
レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)》。1503~1519年頃、ポプラ材の板に油彩、約79.4×53.4センチメートル、ルーヴル美術館、フランス・パリ。
作者:レオナルド・ダ・ヴィンチ
撮影者個人名:記載なし
画像提供:Musée du Louvre, Paris
出典:Wikimedia Commons
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スフマートの代表作品

レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》

顔や手の輪郭には、はっきりした線がほとんど見えません。口元や目元の明暗が少しずつ変化するため、見る角度や距離によって、微笑んでいるようにも、静かな表情にも見えます。

背景の山や川も、遠くへ行くほど青く、ぼんやりと描かれ、人物の周囲に空気が広がっているように感じられます。

ミケランジェロと力強い人体

ミケランジェロは、筋肉や骨格を強く意識した、力のある人体を表しました。

現実の人間を観察しながら、普通の人間以上に強く、英雄的な体へ作り上げています。

ミケランジェロの大理石彫刻《ダヴィデ》。裸身の青年ダヴィデが左肩に投石器をかけ、片脚に体重を置いて立っている
ミケランジェロ《ダヴィデ(大理石像)》。1501~1504年、白色大理石、高さ517センチメートル、アカデミア美術館、イタリア・フィレンツェ。
作者:ミケランジェロ・ブオナローティ
撮影:Yair Haklai
出典:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0
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盛期ルネサンス彫刻の代表作品

ミケランジェロ《ダヴィデ》

高さ5メートルを超える青年像です。右脚で体を支え、左脚を休ませるコントラポストの姿勢で立っています。

頭は左へ向き、眉の間には力が入り、目は遠くの敵を見つめています。首の筋、手の血管、胸や腹の筋肉まで細かく表され、戦いの直前に体全体が緊張しているように見えます。

ラファエロと調和のとれた構図

ラファエロは、多くの人物を一つの画面に配置しながら、誰が中心なのかが伝わる構図を作りました。

人物の視線、手の動き、建築の線、階段の高さなどを結びつけ、画面全体に安定したまとまりを持たせています。

ラファエロ作『アテネの学堂』ラファエロ《アテネの学堂》。1509~1511年ごろ、フレスコ画、バチカン宮殿「署名の間」。
作者:ラファエロ出典:Wikimedia CommonsPublic domain
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調和のとれた構図の代表作品

ラファエロ《アテネの学堂》

中央のアーチの真下に、プラトンとアリストテレスが並んでいます。左右の人物は階段や壁に沿って分かれていますが、視線や手の動きが中央へつながっています。

人物が数十人描かれていても、画面は混雑して見えません。広い建築と人物の集まりが、一つの落ち着いた世界として見えるように組み立てられています。

ルネサンスと古典主義は同じものか

ルネサンスは、古代ギリシャ・ローマ文化を見直した運動です。そのため、広い意味では古典主義的な性格を持っています。

しかし、ルネサンスそのものを、そのまま「古典主義」や「新古典主義」と呼ぶわけではありません。

ルネサンスでは、古代美術が、人間や自然を新しく表現し、キリスト教美術を作り変えるために使われました。

後に登場する17世紀フランスの古典主義や、18世紀後半の新古典主義とは、社会の背景も、古代美術を必要とした理由も異なります。

ルネサンスと古典主義の関係

ルネサンスは、古代文化の復興を大きな特徴とする運動です。その中に古典主義的な考え方が含まれていますが、ルネサンスと新古典主義は、別の時代に生まれた異なる運動です。

マニエリスムへの変化

16世紀になると、盛期ルネサンスの均整のとれた人体や安定した空間を、意図的に変化させる芸術家が現れました。

この美術を「マニエリスム」と呼びます。

マニエリスムでは、人物の首や手足が長く引き伸ばされ、体が複雑にひねられます。現実に立つには不自然な姿勢でも、画面の中では優美な線を作ることが重視されました。

ルネサンスの技術を知らなかったのではありません。完成された表現を十分に学んだうえで、さらに珍しく、洗練された姿を作ろうとしたのです。

パルミジャニーノの絵画《長い首の聖母》。首と指を長く描かれた聖母が幼子キリストを抱き、左側に天使たち、右奥に柱と小さな聖人が描かれている
パルミジャニーノ《長い首の聖母》。1534~1540年、板に油彩、216.5×132.5センチメートル、ウフィツィ美術館、イタリア・フィレンツェ。
作者:パルミジャニーノ
撮影者個人名:記載なし
画像提供:Google Arts & Culture
出典:Wikimedia Commons
Public domain
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マニエリスムの代表作品

パルミジャニーノ《長い首の聖母》

聖母マリアの首は白鳥のように長く、指も細く伸びています。膝の上の幼いキリストも、赤ん坊とは思えないほど大きく、長い体で横たわっています。

右奥には細い柱と小さな人物が描かれ、手前の人物との大きさが合っていません。自然な空間よりも、優美で不思議な雰囲気が優先されています。

17世紀のバロック美術

17世紀には、激しい動き、強い光と影、劇的な感情を特徴とする「バロック美術」が発展しました。

バロックでは、作品を静かに眺めさせるだけでなく、見る人が事件の中へ引き込まれたように感じる表現が重視されました。

人物は斜めに動き、衣服は大きく波打ち、光が暗闇の一部を急に照らします。見る人の視線は、明るい部分へ強く引きつけられます。

カラヴァッジョの絵画《聖マタイの召命》。暗い室内で男たちが硬貨を数えるなか、右側から入ったキリストがマタイを指し、斜めの光が人物たちを照らしている
カラヴァッジョ《聖マタイの召命》。1599~1600年、カンヴァスに油彩、約322×340センチメートル、コンタレッリ礼拝堂、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂、イタリア・ローマ。
作者:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
撮影:Gleb Simonov
出典:Wikimedia Commons
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バロック絵画の代表作品

カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

薄暗い室内で、男たちが机を囲んでいます。画面右から入ってきたキリストが指を伸ばすと、同じ方向から細い光が斜めに差し込み、机の人物たちを照らします。

マタイは自分の胸を指し、「私のことですか」と問い返しているように見えます。暗い日常の室内へ神の呼びかけが突然入り込む瞬間が、光によって表されています。

ベルニーニの彫刻《聖テレジアの法悦》。雲の上で力を失ったように横たわる聖テレジアに、ほほえむ天使が金色の矢を向け、背後に金色の光線が伸びている
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《聖テレジアの法悦》。1647~1652年頃、白色大理石・金鍍金ブロンズ、彫刻群の高さ約350センチメートル、コルナーロ礼拝堂、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会、イタリア・ローマ。
作者・設計:ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
撮影:Alvesgaspar
出典:Wikimedia Commons
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バロック彫刻の代表作品

ベルニーニ《聖テレジアの法悦》

聖テレジアは雲の上に倒れ、厚い衣服は風を受けた布のように大きく波打っています。その前では天使が微笑みながら、金色の矢を持っています。

上方から差し込む光が金色の棒へ当たり、彫刻全体が天から照らされているように見えます。彫刻、建築、光を組み合わせ、宗教的な体験を舞台の一場面のように見せる作品です。

17世紀美術はバロックだけではない

17世紀の美術を、すべて派手で劇的なバロックとしてまとめることはできません。

同じ時代にも、古代美術やラファエロの作品を手本にし、落ち着いた構図と明確な物語表現を重視する芸術家がいました。

その代表が、フランス出身の画家ニコラ・プーサンです。

ニコラ・プーサンと17世紀古典主義

ニコラ・プーサンは、活動の多くをローマで過ごしました。

古代彫刻、古代建築、ラファエロなどを研究し、古代史、神話、聖書を題材とする作品を制作しました。

人物が悲しみや驚きを表していても、画面全体が混乱することはありません。登場人物の位置、手の動き、視線の向きを考え、何が起きているのかが伝わる構図を作りました。

ニコラ・プーサン作『アルカディアの牧人たち』ニコラ・プーサン《アルカディアの牧人たち》。1637~1638年ごろ、油彩・カンヴァス、ルーヴル美術館所蔵。
作者:ニコラ・プーサン撮影:Shonagon出典:Wikimedia CommonsPublic domain
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17世紀古典主義の代表作品

ニコラ・プーサン《アルカディアの牧人たち》

明るい野原の中で、三人の牧人と一人の女性が、石の墓を囲んでいます。一人は墓に刻まれた文字を指でなぞり、別の人物は考え込むようにその文字を見ています。

人物は墓の左右に安定して置かれ、背後には静かな山と青い空が広がっています。死を扱う場面ですが、恐怖や混乱ではなく、静かに考える時間が流れているように見えます。

歴史画としてのプーサン

プーサンは、古代史の出来事を描く場合にも、人物の身ぶりや視線によって物語を伝えました。

ニコラ・プーサンの絵画《ゲルマニクスの死》。寝台に横たわるローマの将軍ゲルマニクスを、家族や兵士たちが取り囲んでいる
ニコラ・プーサン《ゲルマニクスの死》。1627年、カンヴァスに油彩、148×198.1センチメートル、ミネアポリス美術館、アメリカ合衆国。
作者:ニコラ・プーサン
撮影者個人名:記載なし
画像提供:Google Arts & Culture
出典:Wikimedia Commons
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プーサンの歴史画を代表する作品

ニコラ・プーサン《ゲルマニクスの死》

中央の寝台には、死を迎える将軍ゲルマニクスが横たわっています。その周囲には兵士や家族が集まり、胸へ手を当てる者、顔を覆う者、将軍の言葉を聞こうと身を乗り出す者がいます。

人物の感情は強いものですが、それぞれの姿勢と視線が中央の将軍へ集まり、場面の中心が明確に伝わります。

バロックと17世紀古典主義の違い

17世紀の古典主義 バロック美術
人物を安定した位置に置く 人物を斜めに動かす
物語を落ち着いて伝える 事件の瞬間へ見る人を引き込む
明確な形と輪郭を重視する 強い光と影、波打つ形を使う
プーサン《アルカディアの牧人たち》 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

ただし、古典主義とバロックを完全に分けることはできません。

プーサンの作品にも感情や動きがあり、バロックの作品にも計算された構図があります。どちらの特徴をより強く見せようとしたかが違うのです。

フランス王立絵画彫刻アカデミー

フランスでは、17世紀に王立絵画彫刻アカデミーが設立されました。

美術アカデミーとは、芸術家を教育し、作品を評価し、美術の基準を定める組織です。

学生は、最初に線や形を描くデッサンを学びました。その後、優れた版画や古代彫刻の石膏像を写し、最後に実際の人体を観察して描きました。

石膏像の白い表面へ光を当てると、額、鼻、胸、腹、腕などに明暗が生まれます。学生はその明暗を追いながら、人体の丸みと比例を学びました。

古代彫刻は、理想的な人体の比例と姿勢を学ぶための重要な教材とされたのです。

デッサン

デッサンとは、線や明暗によって、人物や物の形、立体感、位置関係などを表すことです。

フランスのアカデミーでは、色を塗る前に、線によって正しい形を決めることが重視されました。

人物の輪郭、腕や脚の長さ、画面の中での位置が決まってから、色彩を加えるという考え方です。

この伝統は、後の新古典主義や、アングルの滑らかで輪郭の明確な作品へ受け継がれていきます。

歴史画が最も高く評価された

アカデミーでは、絵画の題材にも順位があると考えられていました。

古代史、神話、聖書などを描く「歴史画」が、最も高い分野とされました。

歴史画とは、歴史上の出来事や神話、聖書の物語を、多くの人物を使って表す絵画です。

歴史画を描くには、人体を描く技術だけでなく、誰を中央に置くか、どの人物にどの動きをさせるか、どの瞬間を選ぶかを考え、一枚の絵で物語を伝える力が必要だと考えられました。

絵画の種類 おもな題材
歴史画 古代史、神話、聖書、英雄的な出来事
肖像画 王侯貴族や個人の姿
風俗画 人々の日常生活
風景画 自然や都市の景色
静物画 花、果物、食器など
ジャック=ルイ・ダヴィッド作『ホラティウス兄弟の誓い』ジャック=ルイ・ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》。1784年、油彩・カンヴァス、ルーヴル美術館所蔵。
作者:ジャック=ルイ・ダヴィッド撮影:Shonagon出典:Wikimedia CommonsPublic domain
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歴史画の伝統を受け継いだ代表作品

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》

左側の三兄弟は腕をまっすぐ伸ばし、中央の父親が掲げる剣へ向かっています。右側では女性たちが体を曲げ、悲しみに沈んでいます。

人物の位置と動きによって、祖国への義務と家族の悲しみが、一つの画面の中にはっきり示されています。

古典主義と国家の秩序

17世紀フランスの古典主義は、単なる美しさの好みではありませんでした。

秩序、規則、調和、威厳を重視する美術は、国王を中心とする国家の考え方とも結びつきました。

建物の中央をはっきりさせ、左右へ同じように柱や窓を並べれば、正面は安定して見えます。その安定した姿は、王の支配や国家の仕組みが揺るがないことを表すのに適していました。

ルーヴル宮の東側列柱廊。中央の三角形の破風を挟み、二本一組のコリント式円柱が左右対称に長く並んでいる
ルーヴル宮東側列柱廊(ペローの列柱廊)。1667~1674年頃、フランス古典主義建築、フランス・パリ。
設計:クロード・ペロー、ルイ・ル・ヴォー、シャルル・ル・ブラン
撮影:Nitot
出典:Wikimedia Commons
CC BY-SA 3.0
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フランス古典主義建築の代表作品

ルーヴル宮東側列柱廊

建物の正面には、二本ずつ組にされた巨大な柱が、長い距離にわたって規則的に並んでいます。中央部分は少し前へ出ており、左右はほぼ同じ形です。

装飾はありますが、壁全体は落ち着き、巨大な石の正面が動かずに立っているような安定感があります。古代建築を思わせる威厳と、王権の力を表す建物です。

ルネサンスと17世紀古典主義の違い

ルネサンス 17世紀フランス古典主義
古代文化を新しい目で見直した 古代の秩序を美術の基準にした
人間と自然を詳しく観察した 構図、デッサン、規則を重視した
教会、都市、商人などが支援した 国王とアカデミーが美術を管理した
古代美術とキリスト教を結びつけた 古代美術と国家の権威を結びつけた
ラファエロ《アテネの学堂》 プーサン《アルカディアの牧人たち》

どちらも古代ギリシャ・ローマ美術を手本にしましたが、古代美術に求めたものは同じではありません。

ルネサンスでは、人間や自然を新しく表現するために古代文化が使われました。

17世紀フランスでは、古代の秩序や比例が、美術教育と国家の制度を支える基準になったのです。

17世紀古典主義から新古典主義へ

プーサンやフランス王立絵画彫刻アカデミーが重視した古代美術、デッサン、歴史画、安定した構図は、18世紀以後も受け継がれました。

18世紀前半には、貴族社会を中心に、明るい色彩と軽やかな恋愛場面を特徴とするロココ美術が流行します。

しかし、18世紀後半になると、ポンペイなどの古代都市の発掘や、古代ギリシャ美術の研究が進み、古代への関心が再び高まりました。

そこから生まれたのが、新古典主義です。

新古典主義は突然現れた美術ではありません。ルネサンス、プーサン、フランスの美術アカデミーが受け継いできた古典的な伝統を、18世紀の社会に合わせて新しく作り変えた運動なのです。

代表作品から流れを振り返る

時代・用語 代表作品 確認できる特徴
中世キリスト教美術 《皇帝ユスティニアヌスと廷臣たち》 正面性、金色の背景、宗教的な意味
ビザンティン建築 ハギア・ソフィア大聖堂 古代ローマのドーム技術と神聖な光
人文主義 ラファエロ《アテネの学堂》 古代の哲学と人間の理性への関心
線遠近法 マザッチョ《聖三位一体》 消失点を使った奥行きの表現
立体的な人体 マザッチョ《楽園追放》 光と影による体の厚みと重さ
コントラポストの復活 ドナテッロ《ダヴィデ》 片足に体重をかけた自然な立ち姿
スフマート レオナルド《モナ・リザ》 輪郭をぼかした柔らかな光と影
盛期ルネサンス ラファエロ《アテネの学堂》 多くの人物をまとめた安定した構図
マニエリスム 《長い首の聖母》 引き伸ばされた人体と非現実的な比例
バロック カラヴァッジョ《聖マタイの召命》 強い光と影、劇的な瞬間
17世紀古典主義 プーサン《アルカディアの牧人たち》 安定した構図と静かな物語表現
フランス古典主義建築 ルーヴル宮東側列柱廊 規則的な柱と国家的な威厳
歴史画 ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》 古代史、理想的な人体、明確な物語

まとめ

中世に入っても、古代ギリシャ・ローマ文化が完全に失われたわけではありません。

古代の文献や建築技術は、ビザンティン帝国、修道院、宮廷、各地に残る建物などを通して受け継がれました。

ルネサンスでは、ブルネレスキ、マザッチョ、ドナテッロらが、古代建築、遠近法、自然な人体表現を新しい時代の美術へ取り入れました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロは、現実の観察と古代の理想美を結びつけ、人物が本当に呼吸し、空間の中に立っているように見える作品を作りました。

17世紀には、プーサンが古代史や神話を題材に、落ち着いた構図と明確な物語表現を追求しました。

フランス王立絵画彫刻アカデミーでは、古代彫刻、デッサン、歴史画が、美術教育の重要な基準となりました。

古代美術は、どの時代にも同じ意味で復活したわけではありません。

ルネサンスでは、人間や自然を新しく見るために使われ、17世紀フランスでは、美術教育と国家の秩序を支える基準として使われたのです。

次の記事

次回は、ポンペイなどの発掘、ロココ美術への反発、フランス革命を背景に生まれた新古典主義を取り上げます。

▶ 新古典主義とは何か|発掘・革命・ナポレオンと古代の理想