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明治後期の暮らしと地域差|電車・水道・電話で変わる都市生活

明治初期には、鉄道や学校、病院、ガス灯など、それまでの日本にはなかったものが次々と登場しました。

明治後期になると、そこからもう一段、生活が変わっていきます。鉄道が走っているだけではなく、市内を電車が走り、水道が街へ水を送り、電話を使って離れた場所と話せるようになりました。

この変化が東京から全国へ、同じ順番で広がったわけではないことです。

京都では東京より早く市街電車が走っています。横浜では東京より早く近代水道が整備されました。大阪では港と市電、神戸では貿易港と都市間電車、名古屋では市電と港を中心に街が変わっていきます。

明治後期は、それぞれの都市が必要なものを取り入れながら、違った近代都市へ成長していった時代だったようです。

目次

明治初期から何が変わったのか

明治初期には、汽車や洋館があること自体が珍しく、新しいものがある場所と、江戸時代から続く暮らしが同じ街の中に並んでいました。

明治後期になると、新しい設備が単独で存在するだけではなく、都市の中で少しずつつながっていきます。

鉄道駅に着いたあと、市内を走る電車へ乗り換えて会社や商店へ向かう。水道から水を得る。商売では電話を使う。現在では当たり前に見える都市生活の形が、少しずつ作られていきました。

明治初期 明治後期
鉄道が登場する 鉄道と市内電車が都市交通を作る
電灯が珍しい 都市で電気の利用が広がり始める
近代病院が設立される 都市の医療施設がさらに整えられる
学校制度が作られる 学校教育を経験する人が増える
電話はまだない 東京・横浜から大阪・神戸などへ電話網が広がる
新しい設備が点在する 都市を支える設備としてつながり始める

明治後期の大きな流れ

明治後期には、水道、電話、電気、市電、港など、現在の都市にもつながる設備が次々と整えられていきました。

ただし、一つの都市にすべてが同時にそろったわけではありません。電車は早いが水道は遅い都市もあれば、水道を早く必要とした都市もあります。

主な出来事 暮らしを見るポイント
1890年 東京・横浜で電話交換業務開始、琵琶湖第一疏水完成 通信と都市設備が新しい段階へ
1891年 京都・蹴上で水力発電開始 電気を交通や産業へ利用する条件が整う
1893年 大阪・神戸で電話交換業務開始 電話が主要都市へ広がる
1895年 京都で市街電車開業、大阪で近代水道通水 電車と水道が都市生活へ入ってくる
1898年 東京で近代水道給水開始、名古屋で市内電車・電話開始 都市ごとの設備整備が進む
1900年 東京に「自働電話」設置、神戸で上水道給水開始 通信と衛生環境が少しずつ身近になる
1903年 東京で電車営業開始、大阪で市電開業 路面電車が都市交通へ入る
1904年 三越が「デパートメントストア宣言」 買い物の形も変わり始める
1905年 阪神電車が大阪と神戸の間で開業 都市と都市を電車で結ぶ生活圏が生まれる
1907年 名古屋港開港、都市ガス供給開始 中部の商工業都市化が進む
1911年 東京市が路面電車を市営化 電車が公共交通として定着していく
1912年 京都で市営電車・近代水道が本格始動 大正につながる都市の基盤が整う

地域ごとに見ると、発展の仕方はかなり違う

東京、横浜、大阪、京都、神戸、名古屋は、どこも近代都市へ向かっていました。しかし、都市として求められていた役割が違うため、発展の仕方も同じではありません。

地域 都市の役割 交通・設備 この時代の特徴
東京 政治・行政、情報、商業の中心 汽車、路面電車、電話、水道 行政都市から巨大都市へ
横浜 国際貿易港 鉄道、電話、近代水道 港の急成長に合わせて設備も早く整う
大阪 商業・工業・港湾都市 市電、水道、港、私鉄 商都を支える設備が拡大
京都 文化・教育・産業都市 琵琶湖疏水、水力発電、市街電車 古都の中へ新しい技術を取り込む
神戸 国際貿易港、工業都市 鉄道、水道、阪神電車 貿易に造船や工業が加わる
名古屋 中部の商工業中心 鉄道、市電、電話、ガス、港 明治後半に急速に近代都市へ変わる
地方都市 県庁・地域商業中心 鉄道、電灯、電話など 設備の導入時期には大きな差がある
農村 農業・村落社会 鉄道との接続は進むが、市電や水道とは距離がある 都市との接触は増えるが、暮らしはまだ大きく違う

東京――行政の中心から巨大都市へ

明治初期の東京は、政府や官庁、軍、学校などが集まる政治と行政の中心として成長しました。

明治後期になると、そこへ商業や金融、新聞、出版、通信などが加わります。全国から人や情報、商品が集まり、現在につながる巨大都市の形が少しずつ作られていきました。

現在の東京を見ると、企業や情報が集まる都市という印象が強くあります。しかし、その最初の核になったのは政府と官庁でした。そこへ大学や企業、新聞などが集まり、東京の役割が広がっていったことになります。

東京の街を電車が走るようになる

東京では1882年から、新橋と日本橋の間を馬車鉄道が走っていました。

1903年になると、品川と新橋の間で電車が営業を始めます。その後も路線は広がり、1911年には東京市が民間会社の路線を買収して、市営電車を始めました。

明治初期には、東京から横浜まで汽車で行けることが大きな変化でした。それが明治末になると、東京の街の中を電車で移動できるようになります。

鉄道は都市と都市を結ぶだけではなく、毎日の仕事や買い物を支える交通へ変わり始めました。

水道がなければ巨大都市にはなれない

東京では江戸時代から、神田上水や玉川上水が利用されていました。

しかし人口が増えると、それまでの仕組みだけでは十分ではありません。衛生上の問題もあり、1898年から淀橋浄水場を利用した近代水道の給水が始まりました。

鉄道や電車に比べると、水道は目立ちません。それでも、人が増え続ける都市には欠かせない設備です。

東京が巨大都市になっていく裏側では、安全な水を大量に供給する仕組みも同じように整えられていました。

電話があっても、普通の家に電話があるとは限らない

1890年、東京と横浜で日本最初の電話交換業務が始まりました。

始まったときの加入者は、東京で155、横浜で42でした。電話はすでに存在していましたが、現在のように普通の家庭にあるものではありません。

1893年には大阪と神戸にも電話が開通します。1899年には東京と大阪の間で長距離通話が始まり、1900年には新橋駅と上野駅に、公衆電話の前身となる「自働電話」も設置されました。

このころの電話は、官庁や企業、商店、富裕層などにとって特に価値のある設備でした。

小説の中に電話が出てきたときも、この時代には電話があった、だけでは生活の様子までは分かりません。その電話が自宅にあるのか、会社や商店にあるのかでも、人物の生活はかなり違って見えてきます。

横浜――幕末から20年ほどで近代水道まで整う

横浜は外国貿易港として急速に人口が増えていました。しかし、埋め立てられた土地も多く、良質な井戸水を確保しにくいという問題がありました。

そこで1887年、日本で最初の近代水道が横浜で給水を始めます。

幕末の1867年から数えても、わずか20年ほどしかたっていません。その間に横浜は、近代水道を必要とするほど大きな貿易都市へ変わりました。

これだけ短い期間で街が大きく変わったことを考えると、横浜の発展の速さがよく分かります。

東京で近代水道の給水が始まるのは1898年です。横浜より10年以上あとになります。

首都だから何でも東京が最初だった、というわけではありません。都市によって抱えていた問題が違い、先に必要とされた設備も違っていました。

京都――政治の中心を失っても近代化には遅れなかった

明治初期の京都は、天皇と政治の中心が東京へ移ったことで、それまで持っていた政治都市としての役割を失いました。

その後の京都では、教育や産業、新しい技術を利用して都市を立て直す取り組みが進められます。

その成果が大きく見えてくるのが明治後期です。

1890年に琵琶湖第一疏水が完成し、翌1891年には蹴上で水力発電が始まりました。そして1895年には、その電力を使って京都電気鉄道が営業を開始します。

東京で電車が営業を始めるのは1903年です。京都では、それより8年早く市街地を電車が走っていました。

古い都市だから近代化も遅かった、というイメージとはかなり違います。電力や都市交通では、京都は全国でも早い位置にいました。

古都と新しい技術が同じ街にある

京都は寺社や西陣織など、それまでの文化や産業を捨てて、西洋式の都市を作ったわけではありません。

古くから続く街の中へ、水力発電や電車、大学、博覧会などを加えていきました。

古い京都が消えて新しい京都に入れ替わったのではなく、古いものと新しいものが同じ場所に重なっていったことになります。

この特徴は、その後の京都を見るときにも続いていきます。

大阪――商都を支えるために街の設備が増えていく

大阪では、江戸時代から続く巨大な商業都市の上へ、水道、港、市電などが加わっていきます。

1895年には近代水道の給水が始まりました。1897年には大阪港の築港工事が本格化し、1903年には花園橋から築港まで、大阪最初の市電が営業を始めます。

東京では、政府や官庁を中心に都市が大きくなりました。大阪では、商業や工業、港湾を支えるために都市の設備が増えていきます。

同じ大都市でも、大きくなる理由にはかなり違いがありました。

大阪最初の市電は、梅田や難波ではなく築港へ向かった

1903年に開業した大阪最初の市電は、梅田と難波のような中心街を結ぶ路線ではありませんでした。

花園橋から、大阪港の築港桟橋へ向かう路線です。

この市電には、大阪港の利用を増やし、築港の埋立地を発展させる目的がありました。市電が開通したあとには、沿線の開発も進んでいます。

最初の市電というと、すでに人が多く住んでいる中心街を便利にするために作られたように思ってしまいます。

しかし大阪では、新しく整備された港と、その周辺の発展を支える交通から始まりました。このあたりにも、大阪という都市の広がり方が表れているように思います。

神戸――貿易港から工業都市へも広がっていく

明治初期の神戸は、外国人居留地と貿易を中心とする新しい国際港でした。

明治後期になると、その役割はさらに広がります。

1900年には上水道の給水が始まりました。1905年には神戸製鋼所など、近代工業につながる企業も生まれます。

神戸は外国文化を見る港町というだけではなく、造船や鉄鋼などを持つ工業都市としても成長していきました。

1905年、阪神電車が大阪と神戸を結ぶ

1905年には、阪神電気鉄道が大阪と神戸の間で営業を始めます。

東京の路面電車は、一つの巨大な都市の中を移動するための交通でした。それに対して阪神電車は、大阪と神戸という二つの都市を結ぶ電車です。

その途中には、西宮や芦屋があります。

電車が頻繁に走るようになると、大阪と神戸の間にある地域も、少しずつ都市生活圏へ入っていきます。

この流れは大正、昭和になると、沿線の住宅地や学校、娯楽施設へ広がります。後の阪神間モダニズムにつながる土台も、このころから作られていきました。

鉄道が街を結ぶだけでなく、街を作るようになる

明治初期の東京と横浜、大阪と神戸を結ぶ鉄道は、すでに大きくなっていた都市同士を結ぶ役割が中心でした。

明治末になると、都市間を走る電車が途中に駅を置き、そこへ人を運ぶようになります。

駅の周辺に住宅や商店が増えれば、鉄道は既存の街を結ぶだけではなく、新しい街ができるきっかけにもなります。

まだ大正以降ほど大規模な郊外住宅地はありません。それでも、電車を利用して都市へ通う生活の土台は、このころから作られ始めました。

名古屋――明治後半に一気に近代都市へ変わる

明治初期の名古屋は、東京や横浜、大阪や神戸と比べると、鉄道の到達が遅い都市でした。名古屋駅が開業したのは1886年です。

ところが明治後期になると、街は急速に変わります。

1898年には市内電話が始まり、同じ年には笹島から県庁前まで市内電車が営業を始めました。1907年には名古屋港が開港し、都市ガスの供給も始まります。

明治初期には城下町の性格がまだ強かった名古屋が、鉄道、市電、港を持つ中部地方の商工業都市へ変わっていきました。

市電と電話はあるのに、水道はまだない

名古屋には1898年から市電が走り、電話も使われています。

ここまで聞くと、生活に必要な近代設備がかなり整っていたように感じます。

ところが、近代水道の給水が始まるのは1914年です。すでに大正時代になっています。

明治時代の名古屋には、市電と電話はあるのに、近代水道はまだありませんでした。

この違いを見ると、近代化には決まった順番がなかったことが分かります。それぞれの都市で必要になった設備から、先に整えられていったようです。

同じ近代化でも、都市ごとに必要だったものが違う

横浜では、急増する人口と水の問題から、近代水道が早く必要になりました。

京都では琵琶湖疏水の水を利用し、水力発電や電車へつなげています。大阪では港、水道、市電を整え、巨大な商工業都市を支えました。神戸では、貿易港と工業化に合わせて都市設備が増えていきます。

こうして比べてみると、日本の近代化は、東京から同じ設備が順番に広がったという形ではなかったようです。

それぞれの都市が、そのとき必要としていたものから先に整えていきました。

百貨店へ出かけるという新しい買い物

1904年、三越は「デパートメントストア宣言」を出し、西洋式の百貨店を目指すことを明らかにしました。

それまでなら、呉服は呉服屋、魚は魚屋、米は米屋というように、必要な品物ごとに店を使い分けます。

百貨店では、多くの商品を一つの建物に集めます。必要なものを買うだけではなく、商品を見ること自体を楽しむ、新しい買い物の形が生まれていきました。

大正、昭和になると、百貨店へきれいな恰好をして出かけ、食事や買い物を楽しむことが都市生活へ入っていきます。

生活に必要なものを買う場所だった店が、娯楽の場所にもなっていく始まりです。

電車で仕事へ行っても、家では畳に座っている

明治後期になると、東京や大阪の街には電車が走り、水道や電話も整い始めます。

街だけを見ると、現在の生活へかなり近づいてきたようにも感じます。

しかし家へ入ると、木造住宅、畳、和服、座って暮らす生活、かまどなど、それまでの暮らしがまだ大部分を占めています。

1905年の東京なら、電車に乗って会社や官庁へ行き、近代的な職場で働く人もいました。

その人が家へ帰ると、畳に座って食事をしている。そうした生活も十分に考えられます。

街の見た目は急速に変わっていても、家庭の中まで同じ速度で変わったわけではありません。この差は、明治の暮らしを考えるときにかなり気になるところです。

家族や近所だけでなく、学校や職場の付き合いも増える

明治初期には、家族、親族、村、近所、奉公先など、江戸時代から続く人間関係が生活の大きな部分を占めていました。

明治後期になると、学校教育を経験する人が増えていきます。同級生、学友、教師、同窓という関係も、それまで以上に大きくなりました。

官庁や銀行、鉄道会社、工場などで働く人が増えれば、上司や同僚との付き合いも増えていきます。

家族や親族との関係がなくなるのではありません。その上に、学校や職場で作られる人間関係が重なってくる時代だったようです。

同じ街でも、暮らしている世界は同じではない

東京や大阪に住んでいるからといって、すべての家に電話や洋家具があったわけではありません。

官僚、実業家、医師、大商人などは、電話や洋食、洋風家具といった新しい生活文化へ早く触れやすい立場にいました。

一方で、職人や工場労働者、日雇い労働者などの住宅や食生活まで、同じ速度で変わったわけではありません。

電車が走っている街に住んでいるから、その人の生活もすべて近代的だったとは限りません。

同じ東京の同じ年でも、仕事や収入によって、見えている生活はかなり違っていました。

地方では鉄道駅があるかどうかで生活圏が変わる

地方都市にも鉄道網が広がり、県庁所在地や旧城下町などを中心に、電灯や電話が入り始めます。

鉄道駅ができると、人だけではなく、新聞や郵便、商品も以前より速く運ばれるようになります。

駅の周辺には商店や旅館が集まり、街の人の流れも変わっていきます。

その一方で、駅から離れた地域では、徒歩など昔からの移動方法が中心です。

同じ県の中でも、鉄道沿線と鉄道から離れた地域では、見えている世界がかなり違っていました。

農村は都市に近づく一方、差も目立つようになる

農村でも学校へ通う子どもが増え、徴兵によって村の外へ出る男性も増えていきます。

鉄道や新聞を通して、東京や大阪の情報も以前より入りやすくなりました。

しかし、水道、市電、電話、百貨店などが、そのまま農村の家庭へ入ってきたわけではありません。

都市とのつながりは明治初期より強くなっています。それでも実際の生活設備を比べると、都市と農村の差が、かえって目立つようになった部分もありました。

1905年で比べると、同じ日本でもかなり違う

1905年、明治38年ごろの日本を、同じ年で横に並べてみます。

地域 1905年前後に見えている生活
東京 路面電車が走り、電話と近代水道がある。政府、大学、新聞、商業などが集中
横浜 東京より早く近代水道を持ち、国際港として外国との接触が強い
大阪 近代水道と港を持ち、市電が走り始めた巨大商都
京都 すでに10年ほど前から市街電車が走り、水力発電を利用している
神戸 貿易港、上水道、近代工業を持ち、この年から阪神電車で大阪と結ばれる
名古屋 市電と電話がある中部の商工業都市。ただし近代水道はまだない
地方都市 鉄道、電灯、電話がどこまで入っているかは都市によってかなり違う
農村 学校、徴兵、新聞などで都市との接触は増えるが、家庭生活は大都市とは大きく異なる

こうして並べてみると、東京以外でも、それぞれ違った形で近代化が進んでいたことが分かります。

京都では東京より早く市街電車が走っています。横浜では東京より早く近代水道が整いました。

大阪と神戸の間では都市間電車が走り始めています。名古屋には市電と電話があるのに、近代水道はまだありません。

同じ明治38年でも、住んでいる場所によって、当たり前に見えるものはかなり違っていました。

文学を読むときに気になるところ

この年表を作っていて気になるのが、この時代には電話があった、この時代には電車があった、という説明だけでは、文学を読むときにはあまり足りないことです。

1905年に電車へ乗る人物がいても、東京なら市内を走る路面電車かもしれません。阪神間なら、大阪と神戸を結ぶ電車かもしれません。

電話が登場しても、自宅の電話なのか、会社や商店にある電話なのかで、その人物の生活はかなり違います。

街には電車が走っているのに、家へ帰れば畳とかまどの生活をしていることもあります。

明治後期という年代だけを見るのではなく、どの地域なのか、どんな仕事をしているのか、どの程度の暮らしをしている家庭なのかまで見る。

そこまで考えると、文学の中に描かれている街や人物の生活が、少し想像しやすくなるように思います。

明治後期から大正へ

明治後期までに、東京、大阪、京都、神戸、名古屋などでは、電車、水道、電話、電灯、港といった都市を支える設備が整い始めました。

次の大正時代になると、その設備を使って暮らす人の生活が、さらに変わっていきます。

電車を使って郊外から会社へ通勤する。私鉄沿線に住宅を建てる。休日には百貨店や映画館へ出かける。

家族や親族だけではなく、学校の友人や会社の同僚と街で過ごすことも増えていきます。

明治後期までに作られた都市の設備が、大正になると、人の住み方や働き方、遊び方まで変えていくことになります。

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