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十字軍に参加すれば罪は赦されたのか?免罪符・贖宥との違いをわかりやすく解説

十字軍 アンティオキア攻囲戦

十字軍について調べていると、「参加すれば罪が赦された」「免罪符が与えられた」と説明されることがあります。けれども、これは遠征中に何をしても許された、という意味ではありません。当時の教会では、罪そのものを赦されることと、そのあとに必要な償いは、別のものとして考えられていました。十字軍への参加は、命がけの巡礼として、その償いに代わる行為と見なされたのです。この記事では、「罪の赦し」「贖罪」「贖宥」「免罪符」の違いを見ながら、なぜ十字軍で略奪や虐殺が起きたのかを考えてみます。

十字軍じゅうじぐんについて調べていると、「参加者には罪の赦しが約束された」という説明が出てきます。

この言葉だけを見ると、少し不思議に感じます。

十字軍に参加すれば、それまでの罪はすべて消えたのでしょうか。

遠征の途中で殺人や略奪をしても、教会は許したのでしょうか。

教会が、略奪の許可証のようなものを与えたのでしょうか。

このあたりは、現在の感覚で読むとかなり引っかかります。

「十字軍に参加すると免罪符が与えられた」と説明されることもあります。けれども、中世の教会が考えていた「罪の赦し」と「贖宥しょくゆう」は、まったく同じものではありません。

十字軍への参加も、殺人や略奪を前もって許す免許ではありませんでした。

では、十字軍参加者に約束された「罪の赦し」とは、どのようなものだったのでしょうか。

免罪符とは何が似ていて、何が違うのか。

当時の教会が考えていた罪と救いの仕組みから、少しずつ見ていきます。

このシリーズ 全4回のうち4回目

十字軍を知る

十字軍はなぜ始まり、なぜ長期間にわたって遠征が繰り返され、最終的に聖地を維持できなかったのか。巡礼、宗教、贖宥、イスラム勢力、十字軍国家などを通して中世ヨーロッパを読み解くシリーズです。

  1. 1 十字軍はなぜ始まったのか?巡礼が戦争へ変わった中世ヨーロッパ
  2. 2 十字軍はなぜ失敗したのか?第1回から第8回までの年代表
  3. 3 十字軍はなぜ失敗を重ねたのか?第2回以降の歴史をやさしく解説
  4. 4 十字軍に参加すれば罪は赦されたのか?免罪符・贖宥との違いをわかりやすく解説 現在の記事
目次

この記事で見ておきたいこと

十字軍参加者に約束された「罪の赦し」は、遠征中に何をしても許されるという意味ではありませんでした。

当時の教会では、罪について次のように考えられていました。

  • 罪を悔い改めることで、神から罪そのものを赦される。
  • 罪を赦されても、被害の賠償や心を正すための償いは残る。
  • 十字軍への参加は、命がけの巡礼として、その償いの代わりに認められた。
  • 贖宥は、すでに赦された罪について、残る償いや罰を軽くしたり免除したりするものだった。
  • 一般に免罪符と呼ばれる贖宥状と、十字軍参加者への約束は、完全に同じものではない。
  • 遠征中の略奪や住民の殺害が、未来の罪として自動的に赦されたわけではない。

それでも、十字軍では虐殺や略奪が起きました。

ここで考えたいのは、贖宥が虐殺を許可したかどうかだけではありません。当時の人びとが、何を「神のための正しい戦い」と考えていたのかです。

1099年のエルサレム占領は、その問題がとても強く表れた出来事でした。現代から見れば虐殺ですが、十字軍側の記録では、神に導かれた勝利として描かれています。

この違いを見ると、同じ出来事でも、時代の価値観によって見え方が大きく変わることが分かります。

中世の教会が考えていた罪とは

中世ヨーロッパの人びとにとって、罪はただの法律違反ではありませんでした。

罪を犯すことは、神との関係を傷つけることでした。死後に救われるかどうかにも関わる、とても大きな問題だったのです。

現在なら、犯罪を犯した人は裁判を受けます。罰金や懲役など、地上の法律による罰を受けます。

しかし、中世のキリスト教社会では、それだけでは終わりませんでした。

  • 神に赦されるのか。
  • 死後に救われるのか。
  • 罪について必要な償いを終えたのか。

こうしたことが、人びとの生活に深く関わっていました。

教会は、キリストから罪の赦しを仲介する権限を与えられていると考えていました。

ただし、教皇や司祭が、自分の判断だけで自由に罪を消せると考えていたわけではありません。

罪を赦すのは、あくまで神です。

司祭は、罪を悔い改めた人の告白を聞き、神による赦しを教会の立場から宣言する役割を持っていました。

当時の教会は、祈りをささげる場所であると同時に、人が罪から救われる道を示す存在でもありました。

告解や償いを管理する、大きな権威を持っていたのです。

罪の赦しと償いは同じではない

当時の教会では、罪を犯した人が赦されるためには、まず自分の罪を認め、心から悔い改める必要があると考えられていました。

そして、自分の罪を司祭に告白し、同じ罪を繰り返さない意思を示します。

これが告解こっかいです。告解とは、罪を司祭に告白し、悔い改めることです。

けれども、罪を告白して神から赦されたからといって、その罪が生んだ問題まで、すべて消えるわけではありません。

この考え方は、日本人には少し分かりにくいかもしれません。窓ガラスを壊した場合で考えると、少し見えやすくなります。

窓ガラスを壊した人の例

ある人が、怒りに任せて、他人の家の窓ガラスを割ったとします。

その後、自分のしたことを反省し、家の持ち主に謝りました。

持ち主も、こう言ってくれたとします。

あなたが反省していることは分かりました。今回のことは赦します。

これで、窓を割った人と持ち主との関係は、ひとまず回復します。

この「相手から赦された」という部分が、教会の考える罪の赦しに近いものです。

しかし、赦してもらったからといって、割れた窓ガラスが元に戻るわけではありません。

窓は壊れたままです。

そのため、窓を割った人には、まだ責任が残ります。

  • 修理代を払う。
  • 新しいガラスを用意する。
  • 割れたガラスを片づける。
  • 迷惑をかけた相手に償う。

これが、罪を赦されたあとに必要となる償いです。

さらに、問題は壊れた窓だけではありません。

窓を割った原因が、本人の怒りっぽさや乱暴な性格にあったとします。

窓を修理しただけで、その性格まで直るわけではありません。

また同じことを繰り返さないためには、自分の怒りと向き合い、行動を改める必要があります。

教会は、罪によって傷ついたのは相手との関係だけではなく、罪を犯した本人の心にも乱れや悪い習慣が残ると考えました。

そのため、罪を赦された人に、祈り、断食、施し、巡礼、被害者への賠償、一定期間の苦行などを償いとして命じました。

このように見ると、罪そのものを赦されることと、罪が生んだ損害を直し、自分自身を立て直すことは別の話だと分かります。

窓を壊した人が謝って赦されても、壊れた窓を修理する責任は残ります。

同じように、神との関係が回復しても、罪によって生まれた損害や、本人の中に残る悪い習慣まで消えるわけではありません。

それを正すために、償いが必要だと考えられていたのです。

「罪の赦し」「贖罪」「贖宥」の違い

ここで、よく似た言葉が出てきます。

「罪の赦し」「贖罪しょくざい」「贖宥」です。

罪の赦しとは、罪を悔い改めた人が神から赦され、神との関係を回復することです。

贖罪は、罪を償うことです。祈りや断食、巡礼などを行い、自分の罪と向き合いながら償いを果たします。

一方の贖宥は、すでに罪そのものを赦された人について、まだ残っている償いや罰の一部、または全部を免除することです。

窓ガラスの例で考えると、次のようになります。

  • 謝罪して赦してもらうのが「罪の赦し」。
  • 窓を直し、自分の行動を改めるのが「償い」や「贖罪」。
  • 教会が認めた信仰行為を条件として、神の前に残る償いや罰を軽くするのが「贖宥」。

この例は、仕組みを分かりやすくするためのものです。

窓の修理と、中世教会が考えた神の前での償いや罰が、完全に同じということではありません。

また、贖宥を受けたからといって、被害者への返還や賠償まで消えるわけでもありません。

盗んだ物を返す義務や、壊した物を直す責任は、変わらず残っていました。

十字軍に参加することの「罪の赦し」とは

1095年、教皇ウルバヌス2世は、フランスのクレルモンで遠征を呼びかけました。

目的は、東方のキリスト教徒を助け、聖地エルサレムを回復することでした。この呼びかけが、第1回十字軍につながっていきます。

そのとき、信仰のために遠征へ参加する者には、「罪の赦し」や「贖罪の免除」が与えられると伝えられました。

ただし、中世の記録に出てくる「罪の赦し」という言葉を、後の時代に整理された教会用語と、まったく同じ意味で読んでよいのかは注意が必要です。

資料によっては、罪そのものを赦すことと、罪を赦されたあとに残る償いを免除することが、はっきり分けられていないことがあります。

それでも、制度として見たときに大きいのは、十字軍という危険な遠征を、罪を償うための巡礼や苦行として認めた点です。

十字軍への参加は、兵士として戦場へ向かうだけの行為ではありませんでした。

参加者は十字架を身につけ、家族や故郷を離れ、遠い聖地へ向かいます。

その途中には、病気、飢え、遭難、戦闘、戦死の危険がありました。

無事に帰れる保証のない、命がけの巡礼です。

教会は、この大きな犠牲を、罪を償うための行為として認めたと考えられます。

十字軍への参加は「償い」の代わりだった

十字軍参加者に与えられた恩恵を分かりやすく言うなら、次のようなものです。

罪を悔い改めた人が、それまで果たす必要のあった償いを、危険な聖地遠征によって果たしたと認める。

過去の罪について、長い断食や巡礼を命じられていた人がいたとします。

その人が信仰のために十字軍へ参加すれば、その命がけの遠征を、償いの代わりとして認めるということです。

先ほどの窓ガラスの例に戻ると、戦争に参加したので窓を壊したこと自体をなかったことにする、という話ではありません。

まず本人が、自分のしたことを認め、悔い改め、神から赦される必要があります。

そのうえで、本来なら別の形で果たすはずだった償いを、十字軍への参加によって果たしたと認めました。

戦争に参加してくれたので、罪を無条件に消したのではありません。

信仰のために命がけの巡礼を行うので、その遠征を重い償いとして認めたのです。

十字軍への参加によって罪そのものが消えるのではなく、罪を赦されたあとに必要となる償いを、遠征によって果たしたと認める仕組みでした。

この考え方が、のちに贖宥と深く結びついていきます。

十字軍の「罪の赦し」と免罪符は同じなのか

十字軍参加者への約束を、「免罪符」と表現することがあります。

日本でよく使われる「免罪符」という言葉には、これを持っていれば、これから罪を犯しても許される、という印象があります。

紙の札を受け取れば、それだけで罪が消えるようにも聞こえます。

けれども、第1回十字軍の参加者全員が、罪を消すための紙を受け取って出発したわけではありません。

教皇が約束したのは、信仰のために遠征へ参加することを、贖罪となる巡礼や苦行として認める宗教的な恩恵でした。

一般に「免罪符」と呼ばれているものは、正確には贖宥状しょくゆうじょうと呼ばれます。

贖宥状とは、贖宥が与えられたことや、その条件を示す文書です。

十字軍参加者への約束と贖宥状は、贖宥という考え方ではつながっています。

しかし、十字軍そのものが免罪符だったわけではありません。

十字軍参加者が、未来の罪まで消す札を受け取ったわけでもありません。

十字軍については、信仰のために参加する者には、遠征を贖罪行為とする贖宥が約束された、と考えるほうが実際の意味に近そうです。

「罪の赦し」と「贖宥」は何が違うのか

罪の赦しと贖宥は、教会の考えでは別のものです。

罪の赦し

罪の赦しは、本人が罪を悔い改めて告解し、罪そのものを赦されることです。

これによって、神との関係が回復します。

罪を赦すのは神であり、司祭は神の赦しを教会の立場から仲介し、宣言します。

償い・贖罪

償い・贖罪は、罪を赦されたあとに、罪によって生まれた損害を直し、自分自身の行動や心を改めることです。

被害者への返還や賠償、祈り、断食、施し、巡礼などが含まれます。

贖宥

贖宥は、すでに罪そのものを赦された人について、まだ残っている償いや罰を軽くしたり、免除したりすることです。

順番で見ると、次のようになります。

  1. 自分の罪を認める。
  2. 罪を悔い改めて告解する。
  3. 神から罪そのものを赦される。
  4. 罪によって残った損害や、自分の心の乱れを償う。
  5. その償いや罰の一部、または全部が贖宥によって免除される。

罪を悔い改めていない人が、十字軍に参加しただけで自動的に赦された、というのが本来の教会の考え方ではありません。

また、贖宥によって被害者への返還や賠償まで消えるわけでもありません。

盗んだ物を返す義務や、他人に与えた損害を正す責任は残ります。

教会は神の赦しを自由に扱っていたのか

現在の感覚から見ると、教会は神の赦しを使って、人びとを十字軍へ参加させたように見えます。

実際、償いが免除されるという約束は、十字軍へ参加する大きな理由になりました。

死後に救われるかどうかを切実に考えていた人びとにとって、罪を償えることや、死後に受ける罰を軽くできることは大きな意味を持ちました。

そのため、歴史的な働きとしては、教会が救済についての権威を使い、人びとを十字軍へ動員したと見ることができます。

ただし、当時の教会は、それを神の赦しを使った取引だとは考えていなかったようです。

教会は、キリストから罪の赦しを仲介し、償いを決め、償いを軽くする権限を与えられていると信じていました。

教皇にとって十字軍参加者への贖宥は、神の赦しを勝手に配る行為ではありませんでした。

神から教会に与えられた権限を使い、信仰のために大きな犠牲を払う者へ恩恵を与えることだったのです。

ここは、二つの見方を分けたほうがよさそうです。

当時の教会の価値観では、十字軍参加者への贖宥は、正しい救済の仕組みでした。

一方で、歴史的な結果を見ると、神の救いを扱う教会の権威が、多くの人びとを戦争へ向かわせる強い力になったことも見えてきます。

私掠免許とはどう違うのか

大航海時代には、国家から出されていた私掠免許しりゃくめんきょというものがありました。

私掠免許とは、国家が民間の船に対して、敵国の船を襲うことを一定の条件で認める許可です。

敵国の船を拿捕し、積荷を奪うこともありました。

本来なら海賊行為になりかねない攻撃を、国家の戦争行為として認めた制度です。

この点で、私掠免許は一定の攻撃や略奪を事前に認めるものだといえます。

一方、十字軍の贖宥は、まったく同じものではありません。

十字軍の贖宥は、次のような許可ではありませんでした。

  • 敵の財産を自由に奪ってよい。
  • 無関係な住民を殺してよい。
  • 遠征中に何をしても罪にならない。

十字軍の贖宥は、十字軍への参加そのものを、巡礼や苦行、贖罪として認める宗教的な制度です。

私掠免許が一定の攻撃行為を許可するものだとすれば、十字軍の贖宥は、過去の罪について果たす必要のあった償いを免除するものです。

この違いを見ると、十字軍の贖宥を「教会が出した略奪許可証」と考えるのは、少しずれているように見えます。

遠征中の略奪や殺害も赦されたのか

十字軍参加者への贖宥は、これから犯す罪を先回りして赦す制度ではありませんでした。

遠征中に、無関係な住民を殺す。味方のキリスト教徒を襲う。ユダヤ人の共同体を襲撃する。自分の利益のために財産を奪う。

こうしたことをすれば、教会の考えでは新しい罪になります。

過去の罪を償うために出発した人が、遠征中に新しい罪を増やしてしまうこともあったのです。

ただし、十字軍そのものは、教皇によって正しい戦争だと認められていました。

そのため、敵兵と戦うことや、敵の都市を占領することは、通常の殺人や強盗とは区別されました。

中世の戦争では、攻め落とした都市から戦利品を得ることも、ある程度は正当な戦争行為だと考えられていました。

このあたりに、現代から見ると分かりにくい問題があります。

正当な戦いと殺人。戦利品と略奪。敵兵と民間人。神のための戦争と、自分の欲のための暴力。

これらの境界が、現場ではとてもあいまいになりやすかったのです。

未来の罪が赦されていないなら、なぜ虐殺が起きたのか

ここで疑問が出てきます。

十字軍への参加が、これから犯す罪まで赦す制度ではなかったのなら、なぜ十字軍の兵士たちはエルサレムで虐殺を行ったのでしょうか。

この問題をよく表しているのが、1099年のエルサレム占領です。

第1回十字軍は、1099年7月、包囲していたエルサレムへ突入しました。

都市を占領した十字軍兵士は、ムスリムやユダヤ教徒の住民を大勢殺害しました。

正確に何人が殺されたのかは分かっていません。

中世の記録には、とても大きな死者数や、「血が膝まで届いた」といった表現も出てきます。

ただし、こうした表現には、十字軍の勝利や虐殺の激しさを強調する誇張も含まれていると考えられています。

調べていて気になるのは、十字軍側の記録では、こうした殺害が強く批判されるよりも、聖地を取り戻した勝利として描かれていることです。

十字軍の人びとにとって、エルサレムはイエス・キリストが処刑され、復活したとされる聖地でした。

その聖地を支配しているイスラム勢力は、神聖な都市を占拠する敵だと考えられていました。

さらに、長い苦難の末にエルサレムを占領できたことも、神が十字軍を助けた証拠として受け止められました。

そのため、十字軍側は都市の占領や敵の殺害を、神の敵を退け、聖地を取り戻した勝利として理解することができました。

これは、贖宥によって虐殺が直接許可されていた、という意味ではありません。

「神が望んでいる正しい戦争だ」という確信によって、自分たちの暴力を罪として考えにくくなっていた、ということです。

また、当時の戦争には、抵抗した都市を攻め落としたあと、住民の殺害や財産の略奪が行われる慣習もありました。

宗教的な敵意だけでなく、長い遠征や包囲戦による緊張、都市を攻略した軍隊の戦争慣行などが重なって、虐殺へつながったと考える必要があります。

現代の価値観から見れば、エルサレムで行われたことは住民への虐殺です。

しかし、当時の十字軍側の記録では、戦争犯罪として批判されず、神から与えられた勝利として描かれました。

ここには、二つの考え方が同時にありました。

  • 贖宥は、これから犯す罪を許すものではない。
  • 神のための正しい戦争で行う殺害は、通常の殺人とは違う。

この二つが重なったとき、現代から見れば虐殺である行為が、当時の記録では勝利として語られてしまったように見えます。

十字軍の「罪の赦し」から見えてくること

十字軍参加者に約束された「罪の赦し」は、遠征中に何をしても罪にならないという許可ではありませんでした。

中世の教会では、罪を赦されることと、その罪について償うことは別のものだと考えられていました。

窓ガラスを壊した人が謝って赦されても、割れた窓を直す責任は残ります。

それと同じように、罪を赦されたあとにも、賠償、祈り、断食、巡礼などの償いが必要でした。

十字軍への参加は、その償いに代わる命がけの巡礼として認められたのです。

免罪符と呼ばれる贖宥状と、十字軍参加者への約束は、贖宥という考え方ではつながっています。

けれども、十字軍参加者が、未来の罪まで消す権利を受け取ったわけではありません。

十字軍への贖宥は、私掠免許のような略奪許可証でもありませんでした。

遠征中に不当な略奪や殺害をすれば、新たな罪になり得ます。

それでもエルサレムで虐殺が起きたのは、贖宥が虐殺を許可したからではありません。

十字軍そのものが神のための正しい戦争とされ、戦場で何が罪になるのかという判断が、現在とは大きく違っていたためです。

当時の教会は、神の赦しを好きに配っているとは考えていませんでした。

神から与えられた権限によって、罪の赦しを仲介し、償いを決め、贖宥を与えていると考えていました。

一方で、その宗教的な権威が、多くの人びとを戦争へ向かわせる強い力となったことも見えてきます。

十字軍参加者に約束された「罪の赦し」を理解するには、教会が考えていた救いの仕組みと、その考えが戦場でどのように働いたのかを、分けて見る必要がありそうです。

人物・用語の簡単な説明

人物

  • ウルバヌス2世:11世紀末のローマ教皇です。1095年のクレルモンで、第1回十字軍につながる遠征を呼びかけました。
  • イエス・キリスト:キリスト教の中心となる人物です。キリスト教では、エルサレムで処刑されたあとに復活したと信じられています。

用語

  • 十字軍:教皇の呼びかけを受け、聖地の回復やキリスト教徒の救援などを目的に行われた軍事遠征です。
  • 第1回十字軍:1096年に始まった最初の十字軍です。1099年にエルサレムを占領しました。
  • エルサレム:キリスト教、イスラム教、ユダヤ教にとって重要な聖地です。
  • クレルモン:現在のフランスにある都市です。1095年にウルバヌス2世が十字軍を呼びかけました。
  • 告解:自分が犯した罪を司祭に告白し、悔い改めることです。
  • 罪の赦し:罪を悔い改めた人が神から赦され、神との関係を回復することです。
  • 償い:罪を赦されたあとに、罪によって生まれた損害や、本人の心の乱れを正すために行うことです。
  • 贖罪:罪を償うことです。祈り、断食、施し、巡礼などが償いとして行われました。
  • 贖宥:すでに赦された罪について、神の前に残る償いや罰を軽くしたり、免除したりすることです。
  • 贖宥状:贖宥が与えられたことや、その条件を示す文書です。一般には免罪符と呼ばれることがあります。
  • 巡礼:信仰のために聖地を訪れる旅です。十字軍も、武装した巡礼として考えられました。
  • 苦行:祈りや断食などによって欲望を抑え、自分の罪と向き合う行為です。
  • 施し:貧しい人や困っている人に、金銭や食べ物などを与える行為です。
  • 私掠免許:国家が民間の船に対して、敵国の船を襲い、船や積荷を奪うことを一定の条件で認める許可です。
  • 拿捕:敵の船などを捕らえ、自分たちの管理下に置くことです。

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