十字軍じゅうじぐんについて調しらべていると、「参加者さんかしゃにはつみゆるしが約束やくそくされた」という説明せつめいがでてきます。

この言葉ことばの表面だけを見ると、

「十字軍に参加さんかすれば、それまでの罪はすべてえるのか」

遠征えんせい途中とちゅう殺人さつじん略奪りゃくだつをしてもゆるされたのか」

教会きょうかいが略奪の許可証きょかしょうあたえたということなのか」

という疑問ぎもんが出てきます。

「十字軍に参加すると免罪符めんざいふが与えられた」と説明さていたりもします。

しかし、当時とうじの教会がかんがえていた「罪の赦し」と贖宥しょくゆうは、まったくおなじものではありません。

十字軍への参加も、殺人や略奪を事前じぜんに許す免許めんきょでもありませんでした。

では、十字軍参加者に約束された「罪の赦し」とはなんだったのでしょうか。

免罪符とは何が同じで、何がちがうのか。

当時の教会が考えていた罪とすくいの仕組しくみから見ていきたい。

ざっくり内容の要約

十字軍参加者に約束された「罪の赦し」は、遠征中に何をしても許されるという意味いみではありませんでした。

当時の教会は、罪についてつぎのように考えていました。

  • 罪をあらためることで、かみから罪そのものを赦される
  • 罪を赦されても、被害ひがい賠償ばいしょう本人ほんにんこころただすためのつぐないはのこ
  • 十字軍への参加は、いのちがけの巡礼じゅんれいとして、その償いのわりにみとめられた
  • 贖宥は、すでに赦された罪について残る償いやばつかるくしたり、免除めんじょしたりするもの
  • 一般いっぱんに免罪符と呼ばれる贖宥状しょくゆうじょうと、十字軍参加者への約束は完全かんぜんに同じものではない
  • 遠征中の略奪や住民じゅうみん殺害さつがいが、未来みらいの罪として自動的じどうてきに赦されたわけではない

十字軍そのものが「神のためのただしい戦争せんそう」と思っていたため、参加した者は戦場せんじょうでの暴力ぼうりょくや略奪行為を罪だと考えにくくなりました。

1099ねんのエルサレム虐殺ぎゃくさつは、贖宥が虐殺を許可したというより、何を正しい戦いと考えるのかが、当時の宗教的しゅうきょうてき価値観かちかんによっておおきくわっていたれいです。

当時の教会の価値観とは

中世ちゅうせいヨーロッパのひとびとにとって、罪はたんなる法律違反ほうりついはんではありませんでした。

罪をおかすことは、神との関係かんけいきずつけ、死後しごの救いにもかかわる大きな問題もんだいでした。

現在げんざいであれば、犯罪はんざいを犯した人は裁判さいばんけ、罰金ばっきん懲役ちょうえきなどの刑罰けいばつを受けます。

中世のキリストきょう社会しゃかいでは、こうした地上ちじょうの刑罰だけでなく、

  • 神に赦されるのか
  • 死後に救われるのか
  • 罪について必要ひつような償いをえたのか

ということが、人びとの生活せいかつふかく関わっていました。

教会は、キリストから罪の赦しを仲介ちゅうかいする権限けんげんを与えられていると考えていました。

だからといって、教皇きょうこう司祭しさい自分じぶん判断はんだんで、自由じゆうに罪を消せると考えていたわけではありません。

罪を赦すのは、あくまで神です。

司祭は罪を悔い改めた人の告白こくはくき、神による赦しを教会の立場たちばから宣言せんげんする役割やくわりっていました。

当時の教会は、ただいのりをささげる場所ばしょではありません。

人が罪から救われるためのみちしめし、告解こっかいや償いを管理かんりする、大きな権威けんいを持った存在そんざいだった。

教会が考えていた「罪と償い」について

当時の教会では、罪を犯した人が赦されるためには、まず自分の罪をみとめ、心から悔い改める必要があると考えられていました。

自分の罪を司祭に告白し、同じ罪をかえさない意思いしを示します。

これが告解です。

罪を告白して神から赦されたからといって、その罪がんだ問題まで、すべて消えてしまうわけではありません。

ここは日本人にほんじんにはすこかりにくい考え方なので、まどガラスをこわした場合ばあいえてみたい。

窓ガラスを壊した人の例

ある人が、いかりにまかせて他人たにんいえの窓ガラスをったとします。

そのあと、自分のしたことを反省はんせいし、家のぬしあやまりました。

持ち主も、

「あなたが反省していることは分かりました。今回こんかいのことは赦します」

と言ってくれました。

これで、窓を割った人と持ち主との関係は、ひとまず回復かいふくします。

この「相手あいてから赦された」という部分ぶぶんが、教会の考える罪の赦しちかいものです。

しかし、赦してもらったからといって、割れた窓ガラスがもともどるわけではありません。

窓は壊れたままです。

そのため、窓を割った人には、

  • 修理代しゅうりだいはら
  • あたらしいガラスを用意よういする
  • 割れたガラスをかたづける
  • 迷惑めいわくをかけた相手に償う

という責任せきにんが残ります。

これが、罪を赦されたあとに必要となる償いです。

さらに問題は、壊れた窓だけではありません。

窓を割った原因げんいんが、本人の怒りっぽさや乱暴らんぼう性格せいかくにあったとします。

窓を修理しゅうりしただけで、その性格までなおるわけではありません。

また同じことを繰り返さないためには、自分の怒りとい、行動こうどうあらためる必要があります。

教会は、罪によって傷ついたのは相手との関係だけではなく、罪を犯した本人の心にも、みだれやわる習慣しゅうかんが残ると考えました。

そこで、罪を赦された人に、

  • 祈り
  • 断食だんじき
  • ほどこ
  • 巡礼
  • 被害者への賠償
  • 一定期間いっていきかん苦行くぎょう

などを償いとしてめいじました。

つまり、

罪そのものを赦されること

と、

罪が生んだ損害そんがいなおし、自分自身じぶんじしんなおすこと

は別の話です。

窓を壊した人が謝って赦されても、壊れた窓を修理する責任は残ります。

同じように、神との関係が回復しても、罪によって生まれた損害や、本人の中に残る悪い習慣まで消えるわけではありません。

それを正すために、償いが必要だと考えられていたのです。

「罪の赦し」「贖罪しょくざい」「贖宥」の違い

ここでは贖罪と贖宥という、よくた言葉も出てきます。

まず、罪の赦しとは、罪を悔い改めた人が神から赦され、神との関係を回復することです。

贖罪は、罪を償うことです。

祈りや断食、巡礼などをおこない、自分の罪と向き合いながら償いをたします。

一方いっぽうの贖宥は、すでに罪そのものを赦された人について、なお残っている償いや罰の一部いちぶ、または全部ぜんぶを免除することです。

窓ガラスの例で考えると、

  • 謝罪して赦してもらうのが「罪の赦し」
  • 窓を直し、自分の行動を改めるのが「償い」や「贖罪」
  • 教会が認めた信仰行為しんこうこうい条件じょうけんとして、神のまえに残る償いや罰を軽減けいげん・免除するのが「贖宥」

という関係になります。

この例は仕組みを分かりやすくするためのもので、窓の修理と、中世教会が考えた神の前での償いや罰が、完全に同じというわけではありません。

また、贖宥を受けたからといって、被害者への返還へんかんや賠償まで消えるわけでもありません。

ぬすんだ物を返す義務ぎむや、壊した物を修理する責任は、変わらず残っています。

十字軍に参加することの「罪の赦し」とは

1095年、教皇ウルバヌス2世はクレルモンで、東方とうほうのキリスト教徒きょうとたすけ、聖地せいちエルサレムを回復するための遠征をびかけました。

そのとき、信仰しんこうのために遠征へ参加する者には、「罪の赦し」や「贖罪の免除」が与えられるとつたえられました。

ただし、中世の記録きろくに出てくる「罪の赦し」という言葉を、後世こうせいで使用される教会用語きょうかいようごとまったく同じ意味で読むことにずれがあるかもしれません。

書籍によっては、罪そのものを赦すことと、罪を赦されたあとに残る償いを免除することが、はっきりけられていません。

それでも、制度せいどとして重要じゅうようだったのは、

十字軍という危険きけんな遠征を、罪を償うための巡礼や苦行として認めた

というてんです。

十字軍への参加は、兵士へいしとして戦場へかうだけの行為ではありませんでした。

十字架じゅうじかにつけ、家族かぞく故郷ふるさとはなれ、とおい聖地へ向かいます。

その途中には、

  • 病気びょうき
  • 遭難そうなん
  • 戦闘せんとう
  • 戦死せんし

という危険がありました。

無事ぶじかえれる保証ほしょうのない、命がけの巡礼です。

教会は、この大きな犠牲ぎせいを、罪を償うための行為こういとして認めたのです。

十字軍への参加は「償い」の代わりだった

十字軍参加者に与えられた恩恵おんけいを、少し分かりやすくあらわすと、

罪を悔い改めた人が、それまでに果たす必要のあった償いを、危険な聖地遠征によって果たしたと認める

というものです。

過去かこの罪について、長期間ちょうきかんの断食や巡礼を命じられていた人がいたとします。

その人が信仰のために十字軍へ参加すれば、その命がけの遠征を、償いの代わりとして認めるということです。

さきほどの窓ガラスの例にもどると、

戦争に参加したので、窓を壊したこと自体じたいをなかったことにする

という話ではありません。

まず本人が、自分のしたことを認め、悔い改め、神から赦される必要があります。

そのうえで、本来ほんらいなら別のかたちで果たすはずだった償いを、十字軍への参加によって果たしたと認めたのです。

つまり、

戦争に参加してくれたので、罪を無条件むじょうけんに消した

ではありません。

信仰のために命がけの巡礼を行うので、その遠征をおもい償いとして認めた

という仕組みでした。

十字軍への参加によって罪そのものが消えるのではなく、罪を赦されたあとに必要となる償いを、遠征によって果たしたと認める仕組みでした。

この考え方が、のちに「贖宥」へとつながっていきます。

十字軍の「罪の赦し」と免罪符は同じなのか

十字軍参加者への約束を「免罪符」と表現ひょうげんすることがあります。

日本で教えられる「免罪符」には、

これを持っていれば、これから罪を犯しても許される

という印象いんしょうがあります。

かみふだを受け取れば、それだけで罪が消えるようにも聞こえます。

だからと言って、第1回だいいっかい十字軍の参加者全員ぜんいんが、罪を消すための紙を受け取って出発しゅっぱつしたわけではありません。

教皇が約束したのは、信仰のために遠征へ参加することを、贖罪となる巡礼や苦行として認めるという宗教的な恩恵でした。

一般に「免罪符」と呼ばれているものは、正確には贖宥状と呼ばれます。

これは、贖宥が与えられたことや、その条件を示す文書ぶんしょです。

十字軍参加者への約束と贖宥状は、贖宥という考え方ではつながっています。

しかし、

十字軍そのものが免罪符だった

わけでも、

十字軍参加者が、罪を消す札を受け取った

わけでもありません。

十字軍については、

信仰のために参加する者には、遠征を贖罪行為とする贖宥が約束された

と説明するほうが、実際じっさいの意味に近くなります。

「罪の赦し」と「贖宥」は何が違うのか

罪の赦しと贖宥は、教会の考えでは別のものです。

罪の赦し

本人が罪を悔い改めて告解し、罪そのものを赦されることです。

これによって、神との関係が回復します。

罪を赦すのは神であり、司祭は神の赦しを教会の立場から仲介し、宣言します。

償い・贖罪

罪を赦されたあとに、罪によって生まれた損害を直し、自分自身の行動や心を改めることです。

被害者への返還や賠償、祈り、断食、施し、巡礼などがふくまれます。

贖宥

すでに罪そのものを赦された人について、まだ残っている償いや罰を軽くしたり、免除したりすることです。

順番じゅんばんとしては、

  1. 自分の罪を認める
  2. 罪を悔い改めて告解する
  3. 神から罪そのものを赦される
  4. 罪によって残った損害や、自分の心の乱れを償う
  5. その償いや罰の一部、または全部が贖宥によって免除される

となります。

罪を悔い改めていない人が、十字軍に参加しただけで自動的に赦された、というのが本来の教会の考え方ではありません。

また、贖宥によって被害者への返還や賠償まで消えるわけでもありません。

盗んだ物を返す義務や、他人に与えた損害を正す責任は残ります。

教会は神の赦しを自由にあつかっていたのか

現在の感覚かんかくから見ると、教会は神の赦しを使つかって、人びとを十字軍へ参加させたように見えます。

実際、償いが免除されるという約束は、十字軍へ参加する大きな理由りゆうになりました。

死後に救われるかどうかを切実せつじつに考えていた人びとにとって、

  • 罪を償える
  • 死後に受ける罰を軽くできる
  • 神につかえる巡礼者として認められる

という約束は、土地とちやおかねよりも大きな意味を持つことがありました。

そのため、歴史的れきしてきはたらきとしては、

教会が救済きゅうさいについての権威を使い、人びとを十字軍へ動員どういんした

と見ることができます。

ただし、当時の教会は、それを神の赦しを使った取引とりひきだとは考えていませんでした。

教会はキリストから、

  • 罪の赦しを仲介する
  • 償いをめる
  • 償いを軽くする

権限を与えられているとしんじていました。

教皇にとって十字軍参加者への贖宥は、神の赦しを勝手かってくばる行為ではありません。

神から教会に与えられた権限を使い、信仰のために大きな犠牲を払う者へ恩恵を与えることでした。

ここでは、ふたつの見方を分ける必要があります。

当時の教会の価値観では、十字軍参加者への贖宥は、正しい救済の仕組みでした。

一方で、歴史的な結果けっかを見れば、神の救いを扱う教会の権威が、大勢おおぜいの人びとを戦争へ向かわせる強い力になったのも事実じじつです。

私掠免許しりゃくめんきょとはどう違うのか?

大航海時代に国家から出されていた私掠免許というものがあります。

十字軍の贖宥と、私掠免許とはどう違ったのでしょうか。

私掠免許は、国家こっか民間みんかんふねに、

  • 敵国てきこくの船をおそ
  • 船を拿捕だほする
  • 一定の条件で積荷つみにうば

ことを認める制度です。

本来なら海賊行為かいぞくこういになりかねない攻撃こうげきを、国家の戦争行為として認める許可でした。

つまり、私掠免許は、一定の攻撃や略奪を事前に認めるものです。

一方、十字軍の贖宥は、

  • てき財産ざいさんを自由に奪ってよい
  • 無関係むかんけいな住民を殺してよい
  • 遠征中に何をしても罪にならない

という許可ではありません。

十字軍への参加そのものを、巡礼や苦行、贖罪として認める宗教的な制度です。

私掠免許が一定の攻撃行為を許可するのに対して、贖宥は、十字軍参加者が過去の罪について果たす必要のあった償いを免除します。

そのため、十字軍の贖宥を「教会が出した略奪許可証りゃくだつきょかしょう」と考えることはできません。

遠征中の略奪や殺害も赦されたのか

十字軍参加者への贖宥は、これから犯す罪を先回さきまわりして赦す制度ではありませんでした。

遠征中に、

  • 無関係な住民を殺す
  • 味方みかたのキリスト教徒を襲う
  • ユダヤ人の共同体きょうどうたい襲撃しゅうげきする
  • 自分の利益りえきのために財産を奪う
  • 略奪や暴行ぼうこうを行う

といったことをすれば、教会の考えでは新しい罪になります。

過去の罪を償うために出発した人が、遠征中に新しい罪をやしてしまうこともあったのです。

ただし、十字軍そのものは教皇によって正しい戦争だと認められていました。

そのため、敵兵てきへいと戦うことや敵の都市とし占領せんりょうすることは、通常つうじょうの殺人や強盗ごうとうとは区別くべつされました。

中世の戦争では、とした都市から戦利品せんりひんることも、ある程度ていど正当せいとうな戦争行為だと考えられていました。

問題は、

  • 正当な戦いと殺人
  • 戦利品と略奪
  • 敵兵と民間人みんかんじん
  • 神のための戦争と、自分のよくのための暴力

境界きょうかいが、現場げんばではとても曖昧あいまいだったことです。

未来の罪が赦されていないなら、なぜ虐殺がきたのか

ここで疑問が出てきます。

十字軍への参加が、これから犯す罪まで赦す制度ではなかったのなら、なぜ十字軍の兵士たちはエルサレムで虐殺を行ったのでしょうか。

この問題をよく表しているのが、1099年のエルサレム占領です。

第1回十字軍は1099年7包囲ほういしていたエルサレムへ突入とつにゅうしました。

都市を占領した十字軍兵士は、ムスリムやユダヤ教徒の住民を大勢殺害しました。

正確せいかく何人なんにんが殺されたのかは分かっていません。

中世の記録には、とても大きな死者数ししゃすうや「ひざまでとどいた」といった表現も出てきます。

ただし、これらには十字軍の勝利しょうりや虐殺のはげしさを強調きょうちょうする誇張こちょうふくまれていると考えられています。

重要なのは、十字軍側じゅうじぐんがわの記録では、こうした殺害が罪としてつよ批判ひはんされるよりも、聖地をもどした勝利としてえがかれていることです。

十字軍の人びとにとってエルサレムは、イエス・キリスト処刑しょけいされ、復活ふっかつしたとされる聖地でした。

その聖地を支配しはいしているイスラム勢力せいりょくは、神聖しんせいな都市を占拠せんきょする敵だと考えられていました。

さらに、長い苦難くなんすえにエルサレムを占領できたことも、神が十字軍を助けた証拠しょうことしてめられました。

そのため、十字軍側は都市の占領や敵の殺害を、

神の敵を退しりぞけ、聖地を取り戻した勝利

として理解りかいすることができました。

これは、贖宥によって虐殺が直接ちょくせつ許可されていたという意味ではありません。

「神がのぞんでいる正しい戦争だ」という確信かくしんによって、自分たちの暴力を罪として考えにくくなっていたということです。

また、当時の戦争には、抵抗ていこうした都市を攻め落としたあと、住民の殺害や財産の略奪が行われる慣習かんしゅうもありました。

宗教的な敵意てきいだけでなく、長い遠征や包囲戦ほういせんによる緊張きんちょう、都市を攻略こうりゃくした軍隊ぐんたい戦争慣行せんそうかんこうなどがかさなって、虐殺へつながったと考える必要があります。

現代げんだいの価値観から見れば、エルサレムで行われたことは住民への虐殺です。

しかし、当時の十字軍側の記録では、戦争犯罪せんそうはんざいとして批判されず、神から与えられた勝利として描かれました。

ここには、

贖宥は、これから犯す罪を許すものではない

という教会の考えと、

神のための正しい戦争で行う殺害は、通常の殺人とは違う

という十字軍の考えが、同時どうじに存在していました。

まとめ

十字軍参加者に約束された「罪の赦し」は、遠征中に何をしても罪にならないという許可ではありませんでした。

中世の教会では、罪を赦されることと、その罪について償うことは別のものだと考えられていました。

窓ガラスを壊した人が謝って赦されても、割れた窓を修理する責任は残ります。

これと同じように、罪を赦されたあとにも、賠償、祈り、断食、巡礼などの償いが必要でした。

十字軍への参加は、その償いに代わる命がけの巡礼として認められたのです。

免罪符と呼ばれる贖宥状と、十字軍参加者への約束は、贖宥という考え方ではつながっています。

しかし、十字軍参加者が、未来の罪まで消す権利を受け取ったわけではありません。

十字軍への贖宥は、私掠免許のような略奪許可証でもありませんでした。

遠征中に不当な略奪や殺害をすれば、新たな罪になり得ます。

それでもエルサレムで虐殺が起きたのは、贖宥が虐殺を許可したからではありません。

十字軍そのものが神のための正しい戦争とされ、戦場で何が罪になるのかという判断が、大きく変わっていたためです。

当時の教会は、神の赦しを好きに配っているとは考えていませんでした。

神から与えられた権限によって、罪の赦しを仲介し、償いを決め、贖宥を与えていると考えていました。

一方で宗教的な権威が、多くの人びとを戦争へ向かわせる強い力となっていました。

十字軍参加者に約束された「罪の赦し」を理解するには、教会が考えていた救いの仕組みと、その考えが戦場でどのように働いたのかを、分けて考える必要があります。

人物じんぶつ・用語の簡単かんたんな説明

人物

  • ウルバヌス2世:11世紀末せいきまつのローマ教皇。1095年のクレルモンで、第1回十字軍につながる遠征を呼びかけました。
  • イエス・キリスト:キリスト教の中心ちゅうしんとなる人物。キリスト教では、エルサレムで処刑されたあとに復活したと信じられています。

用語

  • 十字軍:教皇の呼びかけを受け、聖地の回復やキリスト教徒の救援などを目的に行われた軍事遠征です。
  • 第1回十字軍:1096年に始まった最初さいしょの十字軍。1099年にエルサレムを占領しました。
  • エルサレム:キリスト教、イスラムきょう、ユダヤきょうにとって重要な聖地です。
  • クレルモン:現在のフランスにある都市。1095年にウルバヌス2世が十字軍を呼びかけました。
  • 告解:自分が犯した罪を司祭に告白し、悔い改めることです。
  • 罪の赦し:罪を悔い改めた人が神から赦され、神との関係を回復することです。
  • 償い:罪を赦されたあとに、罪によって生まれた損害や本人の心の乱れを正すために行うことです。
  • 贖罪:罪を償うこと。祈り、断食、施し、巡礼などが償いとして行われました。
  • 贖宥:すでに赦された罪について、神の前に残る償いや罰を軽減・免除することです。
  • 贖宥状:贖宥が与えられたことや、その条件を示す文書です。一般には免罪符と呼ばれることがあります。
  • 巡礼:信仰のために聖地を訪れる旅です。十字軍も武装した巡礼として考えられました。
  • 苦行:祈りや断食などによって欲望よくぼうおさえ、自分の罪と向き合う行為です。
  • 施しまずしい人やこまっている人に、金銭きんせんものなどを与える行為です。
  • 私掠免許:国家が民間の船に対して、敵国の船を襲い、船や積荷を奪うことを一定の条件で認める許可です。
  • 拿捕:敵の船などを捕らえ、自分たちの管理下かんりかに置くことです。