十字軍は、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世が遠征を呼びかけ、1096年に第1回十字軍が出発したことから本格的に始まります。目的地となったのは、キリスト教の聖地とされたエルサレムでした。
第1回十字軍は1099年にエルサレムを占領し、聖地周辺に十字軍国家を建てます。しかし、その成功は長く続きませんでした。
イスラム側がしだいにまとまって反撃する一方、十字軍側では国王や諸侯の対立も起こります。その後、遠征の目的は聖地の回復だけでなく、領土や政治、商業上の利益などとも複雑に結びついていきました。
十字軍の流れを短くまとめると、第1回はエルサレムの占領に成功しましたが、第2回は失敗し、1187年にはサラディンがエルサレムを奪還しました。
第3回でもエルサレムを取り戻せず、第4回十字軍は同じキリスト教国であるビザンツ帝国を攻撃します。その後はエジプトや北アフリカへの遠征も行われましたが、長く続く成果は得られませんでした。
そして1291年、十字軍国家最後の大きな拠点アッコンが陥落し、聖地周辺に築かれた十字軍国家はほぼ消滅しました。
目次
十字軍はいつ、何のために始まった?
十字軍は1095年に教皇ウルバヌス2世がクレルモン公会議で遠征を呼びかけ、翌1096年に第1回十字軍が出発したことから始まります。
大きな目的の一つは、イスラム勢力の支配下にあった聖地エルサレムをキリスト教徒の側に取り戻すことでした。また、東方のキリスト教国であるビザンツ帝国を支援するという目的もありました。
十字軍は一度だけ行われた戦争ではありません。その後も約200年にわたり、聖地や周辺地域をめぐって何度も遠征が行われました。
十字軍関連年表
十字軍の回数には、研究者や資料によって数え方の違いがあります。この記事では第1回から第8回までを基本とし、1271~1272年の遠征は「第9回十字軍」と数える場合があることを補足しています。
十字軍が始まるまで
マラーズギルドの戦い
セルジューク朝がビザンツ帝国軍を破りました。小アジアの広い地域を失ったビザンツ帝国は、西ヨーロッパへ援助を求めるようになります。
教皇が十字軍を呼びかける
教皇ウルバヌス2世がクレルモン公会議で、東方のキリスト教徒を助け、聖地エルサレムを取り戻すための遠征を呼びかけました。
民衆十字軍が出発
隠者ピエールらに率いられた民衆が、諸侯や騎士の軍より先に出発しました。しかし統率が取れず、その多くが小アジアで壊滅します。
第1回十字軍と十字軍国家の成立
第1回十字軍
西ヨーロッパの諸侯や騎士を中心とする軍が、コンスタンティノープルを経由して聖地を目指しました。
アンティオキアを占領
十字軍は長い包囲戦の末、シリア北部の重要都市アンティオキアを占領しました。周辺には十字軍の諸侯が支配する領土がつくられていきます。
エルサレムを占領
十字軍はエルサレムを攻め落としました。城内ではイスラム教徒やユダヤ教徒の住民が大量に殺害されました。
十字軍国家が成立
エルサレム王国、エデッサ伯領、アンティオキア公領、トリポリ伯領などの十字軍国家がつくられました。
第2回十字軍とイスラム勢力の反撃
エデッサ伯領が滅亡
イスラム側の指導者ザンギーがエデッサを攻め落としました。第1回十字軍によってつくられた国の中で、最初に滅亡した十字軍国家です。
第2回十字軍
フランス王ルイ7世とドイツ王コンラート3世が参加しました。しかし目的だったエデッサを取り戻せず、遠征は失敗します。
ダマスカス攻撃に失敗
第2回十字軍はダマスカスを攻撃しましたが、わずか数日で撤退しました。この失敗はヨーロッパに大きな失望を与えました。
サラディンが勢力を拡大
サラーフ・アッディーン、通称サラディンがエジプトとシリアをまとめ、十字軍国家を取り囲む大きな勢力をつくりました。
ヒッティーンの戦い
サラディン軍が十字軍国家の主力を壊滅させました。十字軍国家はエルサレムを守るための軍事力を失います。
サラディンがエルサレムを奪還
エルサレムはサラディンに降伏しました。1099年のような大虐殺は行われず、多くの住民は身代金を支払って都市から退去することを認められました。
第3回十字軍とリチャード1世
第3回十字軍
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イングランド王リチャード1世が参加しました。「王たちの十字軍」とも呼ばれます。
フリードリヒ1世が遠征中に死去
フリードリヒ1世は遠征の途中、川を渡ろうとして亡くなりました。指導者を失ったドイツ軍の多くは帰国します。
アッコンを占領
十字軍は港町アッコンを占領しました。リチャード1世はアルスフの戦いでもサラディン軍を破り、地中海沿岸の支配を立て直します。
リチャード1世とサラディンが休戦
エルサレムはイスラム側が支配し、キリスト教徒の巡礼は認めるという協定が結ばれました。第3回十字軍はエルサレムを取り戻せないまま終わります。
目的から大きく外れた第4回十字軍
第4回十字軍
遠征軍は聖地へ向かわず、船を用意したヴェネツィアの事情や、ビザンツ帝国の皇位争いに巻き込まれていきました。
コンスタンティノープルを略奪
十字軍は同じキリスト教国であるビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを占領しました。教会や宮殿から財宝が奪われ、その後ラテン帝国が建てられます。
少年十字軍と呼ばれる運動
フランスやドイツで、若者や貧しい人々を中心とする宗教運動が起こりました。ただし、参加者の多くが本当に幼い子どもだったのかは明らかではありません。
エジプトを狙った第5回十字軍
第5回十字軍
エルサレムを直接攻撃するのではなく、イスラム側の重要拠点であるエジプトを征服し、交換条件として聖地を取り戻そうとしました。
ダミエッタを占領
十字軍はエジプトの港町ダミエッタを占領しました。イスラム側はエルサレムとの交換を提案しましたが、十字軍側は受け入れませんでした。
ナイル川の増水で撤退
カイロを目指した十字軍は、ナイル川の増水とイスラム軍の反撃によって追い詰められました。ダミエッタを返還し、エジプトから撤退します。
交渉でエルサレムを得た第6回十字軍
第6回十字軍
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、大規模な戦争を行わず、イスラム側の君主との交渉を進めました。
休戦条約でエルサレムを得る
フリードリヒ2世は、エルサレム、ベツレヘム、ナザレなどの統治権を得ました。ただし、神殿の丘はイスラム側が管理しました。
エルサレムを再び失う
エルサレムは再びイスラム側の手に渡りました。これ以降、十字軍国家がエルサレムを支配することはありませんでした。
ルイ9世の第7回・第8回十字軍
第7回十字軍
フランス王ルイ9世がエジプトへ遠征しました。港町ダミエッタを占領した後、カイロ方面へ進みます。
ルイ9世が捕虜になる
十字軍はマンスーラ周辺で敗れ、ルイ9世も捕虜となりました。高額な身代金を支払い、ダミエッタを返還して解放されます。
第8回十字軍
ルイ9世は北アフリカのチュニスへ遠征しました。しかし軍内で病気が広がり、ルイ9世も現地で亡くなりました。
エドワード王子の遠征
後のイングランド王エドワード1世が聖地で軍事活動を行いました。この遠征を「第9回十字軍」と数えることもあります。
十字軍国家の終わり
最後の大拠点アッコンが陥落
マムルーク朝が、十字軍国家最後の大きな拠点アッコンを占領しました。パレスチナとシリアに築かれた十字軍国家は、ほぼ消滅します。
年表からわかる十字軍の変化
第1回十字軍はエルサレムの占領に成功しました。しかし、第2回以降の十字軍は、第1回と同じ成功を繰り返すことができませんでした。
イスラム側では、ザンギーやヌール・アッディーン、サラディンのような指導者が現れ、それまで分かれていた勢力をまとめていきます。一方、十字軍側では国王や諸侯が対立し、参加者の目的も信仰、領土、名誉、商業上の利益などに分かれていました。
第4回十字軍では、本来の目的だった聖地へ向かわず、同じキリスト教国であるビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを攻撃しました。十字軍が政治や経済上の事情によって、本来の目的から大きく外れてしまった代表的な例です。
その後はエルサレムを直接攻撃するだけでなく、エジプトなどの重要地域を征服し、その土地と交換する形で聖地を取り戻そうとする作戦も行われました。第6回十字軍では実際に戦争ではなく交渉によってエルサレムを得ています。
しかし1244年にはエルサレムを再び失い、その後の遠征も長期的な成果を得ることはできませんでした。十字軍国家の領土はしだいに縮小していきます。
約200年続いた十字軍国家の終わり
1291年にアッコンが陥落すると、パレスチナとシリアに築かれた十字軍国家は、ほぼ完全に消滅しました。第1回十字軍がエルサレムを占領した1099年から数えると、およそ200年後のことです。
十字軍という考え方そのものが1291年に消えたわけではありません。その後も別の地域や勢力を相手とする戦いに「十字軍」という考え方や名称が使われることがありました。
しかし、西ヨーロッパのキリスト教徒が聖地周辺に国を建て、ヨーロッパから送られる軍隊によって守る時代は、アッコンの陥落によって終わったのです。

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