ヨーロッパ音楽の移植から、独自の芸術音楽へ

アメリカ音楽と聞くと、ジャズ、ブルース、映画音楽、ミュージカルを思い浮かべる人は多い。

だが、アメリカにはもう一つ重要な音楽史がある。

ヨーロッパから受け継いだクラシック音楽を土台にしながら、新大陸の風土、移民文化、黒人霊歌、ブルース、ジャズを取り込み、独自の芸術音楽へと育っていった歴史である。

アメリカのクラシック音楽史は、単なる「ヨーロッパ音楽の模倣」ではない。

西洋音楽の形式を受け入れながら、アメリカ固有の素材と精神をどう音楽にするかを探り続けた歴史である。

その流れは、大きく三つの時期に分けて考えられる。

第一期は、1620年から1800年まで。

第二期は、1800年から1860年まで。

第三期は、1860年以降である。

1. 第一期:1620〜1800年

清教徒の宗教音楽と初期の作曲家

アメリカにおけるクラシック音楽の源流は、ニューイングランド地方に移住した清教徒たちの宗教音楽にある。

初期のアメリカ社会で、音楽は娯楽ではなかった。

信仰と結びついたものだった。

教会で歌われる賛美歌や聖歌が、音楽文化の中心を担っていた。

1640年には、アメリカで最初期の賛美歌集が出版された。

教会の聖歌隊が発達すると、ヘンデルのオラトリオなど、ヨーロッパの宗教音楽も紹介されていく。

18世紀後半になると、各地で合唱団が結成される。

楽器の製造や販売も始まる。

音楽は教会の中だけにとどまらず、地域社会の文化として広がり始めた。

この時期には、植民地時代のアメリカから初期の作曲家も登場する。

フランシス・ホプキンソンは、友人であったジョージ・ワシントンに曲を捧げた人物として知られる。

ウィリアム・ビリングズは、なめし革職人でありながら独学で音楽を学び、教会音楽や合唱曲を書いた。

第一期のアメリカ・クラシック音楽は、ヨーロッパ宗教音楽の影響を強く受けていた。

中心にあったのは、教会音楽と合唱だった。

この時期に出てくる人物

  • ヘンデル:ヨーロッパ宗教音楽を代表する作曲家。アメリカでも教会音楽の発展とともに紹介された。
  • フランシス・ホプキンソン:植民地時代のアメリカに現れた初期の作曲家。
  • ジョージ・ワシントン:アメリカ初代大統領。ホプキンソンが曲を捧げた相手として登場する。
  • ウィリアム・ビリングズ:独学で音楽を学び、教会音楽や合唱曲を書いた初期アメリカの重要作曲家。

2. 第二期:1800〜1860年

移民と音楽機関による定着

19世紀に入ると、アメリカの音楽文化は大きく発展する。

その背景にあったのが、ヨーロッパからの移民である。

特にドイツ系移民は、合唱、器楽、音楽教育、演奏会文化の発展に大きな役割を果たした。

1808年には、ニューオーリンズに初期の歌劇場が建設される。

オペラ文化がアメリカに根づき始めた。

各地には音楽団体や演奏会組織が生まれる。

クラシック音楽を継続的に演奏し、鑑賞するための制度が整っていく。

19世紀前半には、ハイドンモーツァルトベートーヴェンなど、ヨーロッパ古典派の作品が本格的に紹介されるようになった。

1842年、ニューヨーク・フィルハーモニーが定期公演を開始する。

これは、アメリカに本格的なオーケストラ文化が育ち始めたことを示す出来事だった。

1846年には、ベートーヴェンの『交響曲第9番』がアメリカで初演される。

ウィーンでの初演から20年ほど後のことだった。

アメリカの音楽史はヨーロッパに比べれば浅い。

それでも19世紀半ばには、ヨーロッパの主要作品を受け入れる演奏文化が育ちつつあった。

第二期は、音楽が教会中心の文化から外へ広がる時代である。

劇場、演奏会、オーケストラ、音楽団体。

クラシック音楽は、アメリカ社会の中に制度として定着していった。

この時期に出てくる人物

  • ハイドン:古典派を代表する作曲家。19世紀のアメリカで紹介されたヨーロッパ音楽の中心人物の一人。
  • モーツァルト:古典派を代表する作曲家。アメリカの演奏会文化の中で受け入れられていった。
  • ベートーヴェン:『交響曲第9番』が1846年にアメリカで初演され、ヨーロッパ音楽受容の象徴となった。

3. 第三期:1860年以降

音楽教育とアメリカ独自の成熟

1860年以降、アメリカのクラシック音楽はさらに本格化する。

音楽学校や大学での音楽教育が整い、専門的に音楽を学ぶ環境が生まれた。

1865年には、オバーリン音楽院が創立される。

1870年には、ハーバード大学でも音楽教育が大学制度の中に組み込まれていく。

音楽は高等教育の一分野として定着し始めた。

演奏家の面では、ルイ・モロー・ゴットシャルクのようなヴィルトゥオーゾ・ピアニストが現れる。

歌曲の分野では、スティーブン・フォスターが広く親しまれる作品を残した。

エドワード・マクダウェルは、アメリカの作曲家としてヨーロッパでも名声を得た人物である。

この時期、アメリカのクラシック音楽は、ヨーロッパ音楽を受け入れるだけの段階を越える。

アメリカ人自身の作曲家や演奏家が、自分たちの音楽を作り始めた。

アメリカ固有の素材を取り込む

第三期で重要なのは、音楽教育や演奏機関の発展だけではない。

アメリカの作曲家たちは、ヨーロッパ音楽の形式を使いながら、自国にある音楽素材をどう取り込むかを考え始めた。

黒人霊歌、ブルース、ジャズの語法。

それらはクラシック音楽とは別の世界に置かれたままではなかった。

歌曲、合唱曲、ピアノ曲、交響曲の中へ取り込まれていく。

ここで、アメリカ・クラシック音楽は大きく変わる。

ヨーロッパの形式を借りながら、アメリカの土地から生まれた響きを持ち始めた。

ハリー・T・バーレイは、黒人霊歌を演奏会用歌曲として広めた人物である。

口承で歌い継がれてきた黒人霊歌を、ピアノ伴奏付きの独唱歌曲として編曲した。

代表的な編曲には『ディープ・リバー』がある。

バーレイドヴォルザークに黒人霊歌を歌って聴かせた人物としても知られる。

ドヴォルザークの『交響曲第9番《新世界より》』や、アメリカ音楽観の形成に影響を与えた人物の一人と考えられている。

ただし、『新世界より』の源泉をバーレイ一人に限定するのは正確ではない。

黒人霊歌、先住民音楽への関心、アメリカ文学。

複数の要素の中で、バーレイの存在が重要だったと見るべきである。

R・ナサニエル・デットは、黒人霊歌の要素を合唱曲やピアノ曲へ発展させた作曲家である。

1908年にオバーリン音楽院を卒業し、ヨーロッパのロマン派音楽や近代音楽の技法に、黒人霊歌の旋律や精神性を重ねた。

代表作には、ピアノ組曲『イン・ザ・ボトムズ』や合唱作品『モーセの命令』がある。

ウィリアム・グラント・スティルは、ブルースや黒人霊歌を交響曲に取り込んだ作曲家である。

代表作『交響曲第1番《アフロ・アメリカン》』は、1931年にロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。

黒人作曲家による交響曲が、アメリカの主要オーケストラに演奏された重要な例である。

フローレンス・プライスは、アメリカの主要オーケストラに交響曲を演奏された最初の黒人女性作曲家である。

1933年、シカゴ交響楽団が彼女の『交響曲第1番 ホ短調』を初演した。

彼女の作品は、ヨーロッパのロマン派音楽を土台にしながら、黒人霊歌やアフリカ系アメリカ人の民俗的要素を取り入れている。

こうした作曲家たちによって、アメリカのクラシック音楽は単なる移植ではなくなる。

アメリカ固有の素材を取り込み、独自の芸術音楽へと成熟していった。

この時期に出てくる人物

  • ルイ・モロー・ゴットシャルク:国際的に活躍したアメリカ出身のヴィルトゥオーゾ・ピアニスト、作曲家。
  • スティーブン・フォスター:親しみやすい歌曲を多く残し、アメリカ歌曲の発展に関わった作曲家。
  • エドワード・マクダウェル:アメリカの作曲家としてヨーロッパでも名声を得た人物。
  • ハリー・T・バーレイ:黒人霊歌を演奏会用歌曲として広めた重要人物。
  • ドヴォルザーク:アメリカ滞在中に黒人霊歌や民俗的素材に関心を示し、『新世界より』を作曲した。
  • R・ナサニエル・デット:黒人霊歌の要素を合唱曲やピアノ曲へ発展させた作曲家。
  • ウィリアム・グラント・スティル:ブルースや黒人霊歌を交響曲に取り入れた作曲家。
  • フローレンス・プライス:主要オーケストラに交響曲を演奏された最初の黒人女性作曲家。

4. 20世紀における地域別の発展

20世紀に入ると、アメリカのクラシック音楽は地域ごとに異なる特色を持って発展した。

東部

知的で実験的な作曲家たち

東部は、建国以来ヨーロッパ文化との交流が深かった地域である。

ニューヨークやボストンには有力な音楽施設が集中した。

知的で実験的な作曲家も多く生まれた。

代表的な作曲家には、アーロン・コープランドチャールズ・アイヴズロジャー・セッションズウォルター・ピストンエリオット・カーターミルトン・バビットレオン・カークナーらがいる。

コープランドは、広大なアメリカの風景や国民的イメージを音楽で表現した作曲家として知られる。

アイヴズは、20世紀の革新的な音楽を先取りするような大胆な技法を用いた作曲家だった。

中西部

伝統的な響きと抒情性

中西部は、比較的保守的な気風を持つ地域とされる。

そのため、伝統的な楽風を重んじる作曲家が現れた。

代表的な人物には、ハワード・ハンソンロイ・ハリスサミュエル・バーバーらがいる。

ハンソンはイーストマン音楽学校の校長として長く教育に携わり、アメリカ音楽の普及にも貢献した。

ロイ・ハリスバーバーは、ヨーロッパ音楽の伝統を踏まえながら、アメリカ的な抒情性や力強さを表現した作曲家である。

西部

前衛音楽の実験場

西部、特に太平洋岸は、開放的で実験的な気風を持つ地域とされる。

そこから、アメリカの前衛音楽が生まれた。

代表的な存在がジョン・ケージである。

ケージは、ピアノの弦に異物を挟んで特殊な音響を生み出すプリペアド・ピアノを用いた。

偶然性の音楽にも取り組んだ。

演奏者が音を出さない沈黙の音楽も発表した。

ケージが問うたのは、音楽とは何かという根本だった。

その活動はクラシック音楽の枠を大きく広げ、20世紀後半の前衛音楽に強い影響を与えた。

地域に収まりきらない作曲家たち

地域別の流れだけでは語りきれない作曲家もいる。

ジョージ・ガーシュインは、ジャズの語法をクラシック音楽に取り入れたシンフォニック・ジャズの代表的作曲家である。

『ラプソディ・イン・ブルー』は、アメリカ的な都市の感覚とクラシック音楽を結びつけた作品として知られる。

アラン・ホヴァネスは、東洋的・神秘的な響きに関心を寄せ、独自の作風を築いた作曲家である。

20世紀のアメリカ・クラシック音楽は、ヨーロッパ音楽の伝統を受け継いだ。

同時に、黒人霊歌、ブルース、ジャズ、東洋的な響き、前衛的な実験を取り込んだ。

その多様さこそが、アメリカの音楽を特徴づけている。

この時期に出てくる人物

  • アーロン・コープランド:広大なアメリカの風景や国民的イメージを音楽で表現した作曲家。
  • チャールズ・アイヴズ:20世紀音楽を先取りする実験的な技法を用いた作曲家。
  • ロジャー・セッションズ:知的で複雑な作風を持つ東部系の作曲家。
  • ウォルター・ピストン:作曲教育にも大きく関わったアメリカの作曲家。
  • エリオット・カーター:複雑で精密な作風を持つ20世紀アメリカの作曲家。
  • ミルトン・バビット:現代音楽や電子音楽にも関わった実験的な作曲家。
  • レオン・カークナー:東部を代表する20世紀アメリカの作曲家の一人。
  • ハワード・ハンソン:イーストマン音楽学校の校長として、教育と普及に貢献した作曲家。
  • ロイ・ハリス:伝統的な形式の中にアメリカ的な力強さを表現した作曲家。
  • サミュエル・バーバー:抒情的で美しい作風を持つアメリカの作曲家。
  • ジョン・ケージ:偶然性の音楽や沈黙の音楽で、音楽の概念を広げた前衛作曲家。
  • ジョージ・ガーシュイン:ジャズの語法をクラシックに取り入れたシンフォニック・ジャズの代表。
  • アラン・ホヴァネス:東洋的、神秘的な響きを取り入れた独自の作風を持つ作曲家。

5. 音楽の普及運動と制度の発展

20世紀のアメリカ・クラシック音楽史で重要なのは、作曲家や作品だけではない。

クラシック音楽を一般市民へ広めるための制度も、大きな役割を果たした。

アメリカでは、交響楽団が非営利の事業団体として扱われ、税制上の優遇を受ける場合があった。

青少年向けのコンサートも行われた。

子どもや若者が、低料金で第一級の演奏に触れられる機会が作られた。

音楽財団は作曲家や演奏家を支援した。

新しい作品の創作や演奏を促す仕組みが生まれた。

こうした音楽促進運動は、クラシック音楽を一部の富裕層や専門家だけのものにしなかった。

より広い公衆のものにするための取り組みだった。

第二次世界大戦後、特に1960年代以降になると、アメリカ全土で文化施設の建設が進む。

ニューヨークにはリンカーン・センターが建設された。

オペラ、オーケストラ、バレエなど、さまざまな舞台芸術の拠点となった。

この流れはアメリカ各地に広がり、音楽センターやコンサートホールの整備が進んでいった。

まとめ

アメリカのクラシック音楽は、独自の芸術音楽へ成熟した

アメリカのクラシック音楽史は、ヨーロッパ音楽の移植から始まった。

第一期には、ニューイングランドの清教徒による宗教音楽や賛美歌が中心となった。

教会音楽と合唱が、初期の音楽文化を支えた。

第二期には、移民の影響によって音楽文化が定着した。

歌劇場、演奏会組織、オーケストラが整えられていった。

第三期には、音楽学校や大学の音楽教育が発展した。

アメリカ人作曲家や演奏家が国際的に活動するようになった。

同じ第三期の中で、アメリカ固有の素材もクラシック音楽へ入っていく。

黒人霊歌、ブルース、ジャズ。

それらは歌曲、合唱曲、ピアノ曲、交響曲の中で、新しい響きを生んだ。

20世紀には、東部・中西部・西部で異なる作曲傾向が生まれた。

コープランドアイヴズハンソンバーバージョン・ケージらは、多様なアメリカ・クラシック音楽を展開した。

アメリカのクラシック音楽史は、単なる「ヨーロッパ音楽の輸入史」ではない。

移民、宗教音楽、音楽教育、オーケストラ制度、黒人霊歌、ブルース、ジャズ、前衛音楽。

それらが交差しながら、アメリカ独自の芸術音楽へと成熟していった歴史である。

同じアメリカの多様な音楽的土壌からは、ジャズやミュージカルも生まれていく。

その意味で、アメリカのクラシック音楽は、ヨーロッパの形式とアメリカ固有の素材が出会うことで生まれた、独自の芸術音楽だった。