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浄瑠璃・人形浄瑠璃の歴史年表|古浄瑠璃から義太夫節、文楽まで

歌川国貞「四季之内」「雷 のみとり人形」1854
このシリーズ 全4回のうち3回目

浄瑠璃は、はじめから人形芝居として成立したわけではありません。

「浄瑠璃」という名前は、牛若丸と浄瑠璃姫の物語に由来するとされています。最初は物語を声で語る芸能として広まり、その後、三味線や人形操りと結びつきながら、人形浄瑠璃へ発展していきました。

江戸時代に入ると、江戸・京都・大坂でさまざまな流派が生まれます。その中から竹本義太夫の義太夫節が大きな力を持つようになり、近松門左衛門などの作者によって、物語そのものも複雑になっていきました。

近松の死後も発展は続きます。複数の作者が一つの作品を書く合作制が広がり、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』など、現在まで上演される作品も生まれました。

ここでは、語り物としての浄瑠璃から、現在の文楽へつながるまでの変化を年代順に並べています。

なお、浄瑠璃の起源や初期の人物については、後世の伝承をもとにした話も含まれています。そのため、確定できない年代については「ごろ」「とされる」「伝えられる」として整理しています。

牛若丸浄瑠璃姫之館忍図」01
『浄瑠璃姫物語』牛若丸浄瑠璃姫之館忍図

まず大まかな流れを知りたい方は
浄瑠璃とは?名前の由来から近松門左衛門、文楽への流れまで解説

人物や流派まで詳しく知りたい方は
古浄瑠璃から義太夫節、文楽へ|劇文学として読む浄瑠璃の歴史を詳しく

※スマートフォンでは、表を横にスクロールしてご覧ください。

目次

浄瑠璃・人形浄瑠璃の歴史変遷年表

最初は人形も三味線もありません。年表を追っていくと、語り、音楽、人形、作者、舞台技術が別々の時期に加わり、現在の文楽につながっていく様子が見えてきます。

時期 出来事・流れ 関係する人物・作品 この時期に変わったこと
1444年〜1449年ごろ
文安年間
初期の語り物が行われたとされる 宇田勾当/『やすだ物語』 盲人音楽家である勾当や検校などが、初期の語り物文化に関わっていた可能性があります。
15世紀中ごろ
室町時代
牛若丸と浄瑠璃姫の物語が広まる 『浄瑠璃姫物語』 牛若丸と三河国の長者の娘・浄瑠璃姫を描いた物語が広まり、「浄瑠璃」という名称の由来になったとされています。
15世紀中ごろ〜16世紀
室町後期〜戦国期
語り物として浄瑠璃が広がる 『宗長日記』/『守武千句』など このころは、まだ現在の人形浄瑠璃とは違います。まずは物語を声で聞かせる芸能として広がっていきました。
16世紀ごろ 既存の語り物や音楽から影響を受ける 説経節/平曲/琵琶/扇拍子 内容では仏教説話などを語る説経節、音楽では平曲や平家琵琶などの影響が指摘されています。
1592年〜1596年ごろ
文禄年間
三味線成立などをめぐる伝承が残る 石村検校/小野お通など 石村検校が蛇皮線を改良したという話や、小野お通が物語を十二段にまとめたという説があります。ただし、どちらも伝承的な部分を含んでいます。
17世紀初頭
慶長・元和年間
語り・三味線・人形が結びつく 西宮の傀儡師/源之丞など 太夫の語りに三味線が加わり、さらに人形操りと結びつきます。現在の人形浄瑠璃につながる基本的な形が見え始めました。
17世紀前半〜後半
江戸時代初期
古浄瑠璃の諸流派が発達 薩摩浄雲/杉山丹後掾/井上播磨掾/宇治加賀掾 義太夫節が広がる以前には、江戸・京都・大坂で多くの太夫や流派が競っていました。
17世紀半ばごろ 江戸浄瑠璃が発展 薩摩浄雲/金平節/岡清兵衛 江戸では、坂田金平のような英雄が豪快に活躍する金平節などが人気を集めました。
1660年代〜1680年代ごろ
寛文・延宝期
上方の浄瑠璃が発達 井上播磨掾/宇治加賀掾 播磨節の力強い語りと、加賀節の細かな節回しは、のちの義太夫節にも影響を与えたとされています。
1684年
貞享元年
竹本義太夫が竹本座を開く 竹本義太夫 大坂道頓堀に竹本座が開かれます。ここから義太夫節が、人形浄瑠璃を代表する語りとして大きな力を持つようになります。
1685年
貞享2年
近松門左衛門との提携 近松門左衛門/『出世景清』 義太夫の語りと、人形が舞台で演じることを考えた物語が組み合わさり、浄瑠璃の劇としての性格が強くなります。
1703年
元禄16年
『曽根崎心中』初演 近松門左衛門 実際に起きた心中事件を題材に、同じ時代を生きる町人の恋愛や金銭、人間関係を描いた世話物が大きな評判となりました。
1703年
元禄16年
豊竹座が創設される 豊竹若太夫/豊竹座 竹本義太夫の門下だった豊竹若太夫が独立します。竹本座と豊竹座の競争が、人形浄瑠璃の発展を支えることになります。
1710年代
正徳年間
世話物が発達 『冥途の飛脚』など 商売、家族、恋愛、世間からの信用など、町人が抱える問題を物語にした作品が多く作られました。
1715年
正徳5年
『国性爺合戦』初演 近松門左衛門 竹本座で上演され、長期間続く大当たりとなりました。近松が心中物だけではなく、大規模な時代物でも人気を得ていたことが分かります。
1720年前後
享保年間
近松晩年の世話物 『心中天網島』/『女殺油地獄』/『心中宵庚申』 家族、商売、恋愛など複数の人間関係の中で、人物が少しずつ追いつめられていく作品が書かれました。
1716年〜1736年ごろ
享保年間
竹本座と豊竹座が競争 竹本座/豊竹座/紀海音 二つの座が観客を競い合い、太夫、三味線、人形遣い、作者の技術も高まっていきました。
18世紀半ば
延享・寛延期
合作制が広がる 竹田出雲/並木千柳/三好松洛/近松半二など 一人の作者が作品全体を書く形から、複数の作者が段を分担する作品が増えます。物語も長く複雑になっていきました。
1746年
延享3年
『菅原伝授手習鑑』初演 竹田出雲/並木千柳/三好松洛ら 現在でも文楽や歌舞伎で繰り返し上演される代表作の一つです。
1747年
延享4年
『義経千本桜』初演 竹田出雲/三好松洛/並木千柳ら 複数の事件や人物関係を組み合わせた大作で、人形浄瑠璃の舞台技巧が発達していたことも分かります。
1748年
寛延元年
『仮名手本忠臣蔵』初演 竹田出雲/三好松洛/並木千柳ら 人形浄瑠璃で生まれ、その後は歌舞伎でも代表的な演目となりました。
18世紀半ば以降
宝暦期〜
歌舞伎との影響が強まる 丸本歌舞伎 人形浄瑠璃の人気作品が歌舞伎へ移される一方、人形浄瑠璃にも歌舞伎の派手な演出や見せ場が取り入れられていきました。
18世紀後半
天明期以降
新作中心の時代から変化 『国言詢音頭』など 旧作の改作や、観客を驚かせる強い趣向も増えていきます。新作だけで競う時代から、上演方法や舞台の見せ方も重視する時代へ変わっていきました。
近世後期〜近代 古典作品を受け継ぐ芸能へ 人形浄瑠璃/文楽 新作を次々に生み出す大衆娯楽としての性格が弱まる一方、過去の作品と太夫・三味線・人形遣いの技術を受け継ぐことが重視されるようになります。
現代 文楽として継承 太夫/三味線/人形遣い 太夫、三味線、人形遣いの「三業」が一つになって作品を上演する古典芸能として、現在まで受け継がれています。

年表を見ていて気になるところ現在の文楽に近い形が一度に完成したのではなく、語り物、三味線、人形操りが別々に存在し、17世紀初めごろに結びついています。

また、近松門左衛門が亡くなったあとにも、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』が作られています。

近松の時代だけを人形浄瑠璃の最盛期と考えるより、その後も作者の合作や人形の技術、歌舞伎との交流によって、別の方向へ発展していったと見たほうが流れを追いやすいようです。

参考文献・参考資料

本記事は、浄瑠璃、近松門左衛門、江戸時代の演劇文化に関する以下の文献・資料をもとに、年代の流れを確認しやすいよう要点を整理しています。

  • 『万有百科大事典』
  • 『日本英雄伝 第10巻』
  • 『日本偉人信仰実伝』
  • 『世界二百文豪』
  • 『東西文芸評伝』昭和4年
  • 『日本歴史人名辞典』
  • 『近世日本国民史 第19 元禄時代 下巻 世相篇』
  • 『浪華人物誌 4』
  • 『日本文化の発達』魚澄惣五郎 著
  • 『国民日本歴史 新修』
  • 『概観日本通史』
  • 『兵庫県郷土人物誌 第1輯』昭和17年
  • 文化デジタルライブラリー

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