この記事の要約
1958年、日本の女性の自殺者は前年の8,860人から9,746人へ、886人増えました。同じ年には売春防止法が全面施行され、赤線も姿を消しています。両者に関係があるのではないかと気になって調べてみると、男性の自殺者も増えており、若年層の薬物中毒、催眠剤の流通、天城山心中と模倣、不況など、もっと大きな1950年代の自殺の波が見えてきました。

前の記事
赤線が消えたあと、女性たちはどこへ行ったのか|1958年の売春防止法とその後
→ 第1回を読む

前の記事では、1958年に赤線がなくなったあと、そこで働いていた女性たちがどこへ行ったのかを調べました。帰郷した人、結婚した人、飲食店やキャバレーなどへ移った人、街娼になった人、保護施設へ入った人など、その後の生活はかなり多くの方向へ分かれていました。

その資料を調べている途中で、一つ気になる数字を見つけました。赤線が完全に消えた1958年、日本では女性の自殺者が前年より800人以上増えていたのです。

1957年の女性の自殺者は8,860人。それが1958年には9,746人となり、一年間で886人、約10%増えています。しかも1959年には8,911人へ戻っているため、1958年だけを見ると、その前後よりかなり大きく上振れしています。

1958年4月1日は売春防止法が全面施行され、赤線が制度として消えた時期でもあります。前の記事で見たように、それまで赤線で働いていた女性の中には、仕事や住む場所が安定せず、その後も何度も生活を変えていた人がいました。

そうなると、赤線が廃止されたことで生活に困った女性が増え、それが1958年の女性の自殺者数にも影響したのではないかと考えたくなります。

ただ、実際に調べてみると、話はそれほど単純ではありませんでした。

出典:
厚生労働省「総死亡数・死亡率・自殺死亡数・死亡率の年次推移」

1958年は戦後最初の大きな自殺のピークだった

自殺者数を男女合わせて見ると、1958年には23,641人が自殺しています。男性13,895人、女性9,746人で、自殺死亡率も人口10万人あたり25.7となっており、戦後最初の大きなピークになっています。

ちなみに、1958年に増えたのは女性だけではありません。男性も1957年の13,276人から1958年には13,895人へ619人増えており、約4.7%の増加でした。ただし女性は8,860人から9,746人へ886人、約10%増えているため、男性より増加率が大きくなっています。

  • 男性:約4.7%の増加
  • 女性:約10%の増加

この数字を見ると、1958年には男女共通で自殺を増やす何らかの要因があり、そのうえで女性にはさらに強く影響した要因があった可能性も考えられます。今回は女性の自殺者増加を中心に見ていきますが、赤線廃止だけで1958年の自殺増加全体を説明できないことは、男性の数字からも分かります。

男性 女性
1955年 13,836人 8,641人
1956年 13,222人 8,885人
1957年 13,276人 8,860人
1958年 13,895人 9,746人
1959年 12,179人 8,911人
1960年 11,506人 8,637人

ただ、この数字をもう少し前から見ると、1958年に何もないところから突然、自殺が増えたわけでもありません。女性だけでも1953年の7,281人から1954年7,994人、1955年8,641人と増えており、1950年代全体に大きな自殺の波がありました。

その中でも1956年と1957年は8,800人台でほぼ横ばいだったものが、1958年に9,746人へ跳ね上がり、1959年には再び8,900人台へ戻っています。そう考えると、長期的な1950年代の自殺増加とは別に、「なぜ1958年だけさらに上振れしたのか」という疑問が残ります。

出典:
厚生労働省「総死亡数・死亡率・自殺死亡数・死亡率の年次推移」

1950年代の自殺で大きく動いていたのは若い世代だった

そこで、自殺した人の年齢や方法まで調べてみると、1950年代の自殺には現在とは少し違った特徴がありました。1950年から1975年までの日本の自殺を男女・年齢・方法別に分析した研究では、特に大きな増減を示したのが15歳から29歳の若い世代でした。

男女とも1950年代に若年層の自殺率が大きく上昇し、1960年代に入ると急速に低下しています。しかも、その増減のかなりの部分を占めていたのが、睡眠薬や鎮静剤などを含む固体・液体による「中毒」でした。

1958~1960年の15~29歳を見ると、自殺全体に占める中毒の割合は男女とも約6割に達しています。それが1965~1967年には約3割まで低下しました。

さらに自殺死亡率で比較すると、15~29歳女性の中毒による自殺死亡率は20.4から4.8へ、男性では27.9から5.0へ大きく下がっています。

研究では、1958~1960年から1965~1967年までに起きた15~29歳の自殺率低下のうち、男性では約80%、女性では約83%を中毒自殺の減少が占めていました。

つまり、1958年以降に若者が突然悩まなくなったというよりも、自殺に使われていた方法そのものが大きく変わったことが、自殺死亡者数の減少に強く影響していたことが分かります。

出典:
Population Health Metrics「An analysis of secular trends in method-specific suicides in Japan, 1950–1975」

1958年前後には催眠剤による自殺が非常に多かった

では、その「中毒」には何が使われていたのでしょうか。1958~1960年の若年層では、ブロム系の薬剤が最も多く使われていました。代表的なものに、当時催眠剤・鎮静剤として販売されていたカルモチンなどがあります。

東京都23区にはさらに詳しい統計が残っています。1956年には自殺者1,806人のうち649人が催眠剤によるものでした。1957年には733人へ増え、1958年には912人に達しています。

1958年の東京都区部では自殺者2,239人のうち、催眠剤による自殺が912人。割合にすると40.7%です。東京だけの数字なので全国へそのまま当てはめることはできませんが、当時の催眠剤自殺がどれほど大きな問題だったのかは分かります。

  • 1956年:649人(35.9%)
  • 1957年:733人(38.1%)
  • 1958年:912人(40.7%)
  • 1959年:710人(36.7%)
  • 1960年:719人(39.0%)

特に気になるのは、女性だけではなく男性にも1958年のピークがあることです。若い男女に共通して中毒自殺が大きな割合を占めていたことを考えると、1958年の自殺増加を考えるうえで、催眠剤へのアクセスは無視できないように思います。

出典:
日本セーフティプロモーション学会誌「日本における1950-60年代の催眠剤による自殺とアクセス制限の関連(第1報)」

では、1958年以降に薬が規制されたから自殺が減ったのか

ここまで見ると、「1958年を境に睡眠薬が規制されたので、自殺が減ったのではないか」と考えたくなります。ただ、調べてみると、これもそこまで単純ではありませんでした。

1960年に新しい薬事法が制定され、1961年から催眠剤・鎮静剤などへの販売規制が強化されていきます。しかし、東京都区部の催眠剤自殺は1958年を頂点として、規制が本格化する前からすでに減り始めています。

この問題を調べた研究でも、当時の法令や行政通達について検討した結果、どれか一つの規制を「催眠剤自殺を減らした直接の原因」とすることは難しいとしています。

つまり、「1961年に法律で規制したから、1959年から自殺が減った」という時間の流れにはなっていません。

そこで別の手掛かりになるのが、薬そのものの生産や市場の変化です。ブロムワレリル尿素錠の生産量と東京都区部の催眠剤自殺率を比較した研究では、両者に強い正の相関が確認されています。

1956年頃からは精神安定剤など別の薬が広がり、従来型の催眠剤の市場も変化していきました。カルモチンも1962年には生産を終了しています。その後の販売規制も加わり、催眠剤を取り巻く生産・流通・販売環境そのものが変わっていったようです。

ただし、これについても「生産量が減ったから自殺が減った」と因果関係まで証明されたわけではありません。現在の資料から言えるのは、催眠剤の流通量と催眠剤自殺がかなり似た動きをしていたというところまでです。

出典:
日本セーフティプロモーション学会誌「日本における1950-60年代の催眠剤による自殺とアクセス制限の関連(第2報)」

1957年末の「天城山心中」も気になる

薬とは別に、1958年の一時的な上振れを考えるうえで気になる出来事があります。1957年12月に起きた「天城山心中」です。

学習院大学の学生だった愛新覚羅慧生と同級生の男性が天城山中で死亡し、当時は「天城山心中」として大きく報道されました。事件については、後に本当に二人の合意による心中だったのかという異なる見方も出ています。

そのため、ここで事件の真相はわかりませんが、気になるのは事件が「若い男女の心中」として広く報道されたことが、ほかの若者へ影響したのかという点です。

興味深いことに、事件からわずか数か月後の1958年3月に発行された医学書院『助産婦雑誌』には、「自殺の流行と増加」という記事が掲載されています。

そこでは、自殺や情死にも「流行」があるのではないかと考え、天城山心中のあとに似た出来事が起きていることを取り上げています。さらに、一つの自殺が別の人の行動を刺激し、同じような行動を起こすきっかけになる可能性を問題にしています。

現在なら、著名人などの自殺が大きく報じられたあとに自殺が増える現象を「ウェルテル効果」と呼びます。当時の記事ではこの言葉は使われていませんが、かなり近い現象を1958年当時の人自身がすでに意識していたわけです。

出典:
医学書院『助産婦雑誌』1958年3月号「自殺の流行と増加」

天城山心中のような心中は、本当に増えたのか

ここまで来ると、「天城山心中のあと、若い男女の心中そのものが増えたのか」も気になります。

当時の警察は、男女の情死や親子心中などを「集団自殺」として統計を取っていました。そのため、警察の『犯罪統計書』を使えば調べられる可能性があります。ただ、今回確認できた1957年、1958年、1959年の『犯罪統計書』は、ウェブ上から必要な表を直接確認できず、年ごとの情死件数を比較するところまではできませんでした。

後年、内務省統計や警察の犯罪統計を使って心中を調べた研究では、男女の「情死」は第二次世界大戦後、長期的には減少していたとされています。一方で、その研究は、情死が起きる条件として「先例」や「モデル」が存在することも重要ではないかと考えています。

つまり、戦後全体として心中が増えていたわけではなさそうです。しかし、天城山心中の直後だけ短期的に似た心中が増えた可能性は残ります。

実際、1958年3月の記事がすでに「天城山心中の再版らしきもの」が起きていると指摘していることを考えると、まったく影響がなかったとも考えにくいところです。

ただ、それが1958年の女性自殺者886人増加を説明するほど大きなものだったのかは、現在確認できる資料からは分かりません。

出典:
近沢敬一「日本人の自殺の特色」九州大学学術情報リポジトリ

拳銃を使った事件なのに、睡眠薬の自殺へ影響するのだろうか

さらに引っ掛かるところがあります。天城山心中では拳銃が使われました。一方、1958年前後の若い男女で非常に多かったのは催眠剤などによる中毒です。

模倣が起きたのであれば、同じ拳銃による自殺が増えてもよさそうです。そこで、「拳銃は手に入りにくいため、自殺そのものに影響を受けても、実際には身近な睡眠薬を使ったのではないか」という考えも浮かびます。

ただ、この考えにも注意が必要です。1957年の日本を、現在とまったく同じ銃事情だったと考えることはできないからです。

1950年代の拳銃は、現在と同じ感覚では考えられない

戦後の日本ではすでに銃砲の所持は規制されており、1950年には「銃砲刀剣類等所持取締令」が存在していました。そのため、1958年に現在の銃刀法につながる法律ができるまでは、拳銃を自由に買えたというわけではありません。

ただし、現在ほど銃器が社会から姿を消していたわけでもなかったようです。

1958年に銃砲刀剣類等所持取締法を制定する際、政府は国会で、既存の規制の「間隙」に乗じて暴力団などが銃砲刀剣類を乱用していることを、法整備の理由の一つとして説明しています。

さらに興味深いのは、天城山心中で使われた拳銃そのものが国会で問題にされていることです。1958年2月の参議院地方行政委員会では、二十歳前後の若者がどうして拳銃を持っていたのか、その入手経路を追跡する必要があるのではないかという質問が出ています。

警察庁側は、天城山の事件について拳銃の出所を追ったものの、最終的に出所まで突き止めることができなかったと答えています。

つまり当時は、拳銃の所持はすでに規制されていましたが、非合法な拳銃も社会に存在していました。「拳銃だから絶対に模倣できなかった」と現在の感覚だけで考えることもできません。

出典:
第28回国会 参議院地方行政委員会 第2号 1958年2月6日
第28回国会 参議院地方行政委員会 第3号 1958年2月11日

天城山心中が1958年の自殺増加を作ったとは言えない

それでも、天城山心中が1958年の女性自殺者増加を大きく作ったと考えるには、まだ証拠が足りません。

まず、事件が起きたのは1957年12月です。ウェルテル効果があるとしても、通常は報道直後の比較的短い期間で影響を見る必要があります。それに対して「女性が886人増えた」という数字は1958年一年間の合計です。

本当に影響を確認するのであれば、1957年12月から1958年初めにかけて、どの年代の自殺が増えたのか、どの方法が増えたのか、男女の情死がどの程度増えたのかまで調べる必要があります。

そこまでの月別・方法別・情死別の統計を今回確認することはできませんでした。

そのため、現時点では、天城山心中の直後に模倣的な出来事が起きた可能性は同時代の資料から確認できるものの、それが1958年全体の自殺者数をどの程度押し上げたのかは分からない、というところまでしか言えません。

「なべ底不況」だけで1958年のピークを説明できるのか

もう一つ考えられるのが経済状況です。1958年は「なべ底不況」の時期で、内閣府の景気基準日付では1957年6月から1958年6月までが景気後退期となっています。

景気悪化が生活や就職に影響し、自殺増加の一因になった可能性は十分に考えられます。ただ、それだけで1958年の突出を説明するのも少し難しいように思います。

なべ底不況は1958年6月に景気の谷を迎え、その後は岩戸景気へ入ります。しかし、景気循環上の谷を越えたからといって、人々の暮らしや悩みがその日から一斉に改善するわけではありません。

それにもかかわらず、自殺者数は1958年をピークに男性も女性も大きく減り、1967年には男性7,940人、女性6,181人まで下がっています。

特に若い世代では、その減少の大部分を中毒自殺の減少が占めています。そう考えると、なべ底不況は背景の一つだったとしても、1958年前後の自殺の大きな波には、当時身近だった催眠剤など、別の要因がかなり大きく作用していた可能性があります。

出典:
内閣府 経済社会総合研究所「景気基準日付」

1968年頃からは、今度は別の方法で自殺が増えていく

ここは今回の本題ではありませんが、その後の推移を見ると興味深いことがあります。1958年をピークに減っていた男女の自殺者数は、1967年頃を底として再び増加へ向かいます。

しかも1968年頃は不況ではありません。1965年10月から1970年7月までは、いわゆる「いざなぎ景気」の拡張期にあたります。それでも男性も女性も自殺者数は上向き始めています。

この時期には、1950年代に大きな割合を占めていた薬物中毒とは別に、都市ガスによる自殺が増加しました。1968年から1970年代半ばにかけて男女とも都市ガスによる自殺率が上昇し、特に15~44歳の女性では全自殺に占める割合もかなり大きくなっています。

その後、都市ガス中の一酸化炭素を減らす「無毒化」が進むと、都市ガスによる自殺も大きく減少しました。

1950年代の催眠剤と1968年以降の都市ガスを同じ原因だと考えることはできません。ただ、どちらの時代にも、「その時代に身近に存在していた致死性の高い手段」が、自殺死亡者数を左右していた可能性が見えてきます。

自殺者数は、その時代の人がどれだけ苦しんでいたかだけで決まるものではなく、「自殺を考えたときに、どのような手段へ簡単に接近できたのか」によっても変わるのかもしれません。

出典:
「Time trends in suicide rates by domestic gas or car exhaust gas inhalation in Japan, 1968–1994」

1958年に女性の自殺者が増えた理由は何だったのか

ここまで調べてみても、「1958年に女性の自殺者が886人増えた理由はこれだった」と一つに決めることはできませんでした。

なべ底不況がありました。若い世代の自殺率が高い時代でもありました。催眠剤などによる中毒自殺が非常に多く、東京では自殺者の4割以上を催眠剤が占めていました。その直前には天城山心中が大きく報道され、当時の人自身が模倣的な心中を問題にしていました。

そして1958年には赤線もなくなり、多くの女性がそれまでの仕事や生活の場所を離れています。

どれも時期は重なっています。しかし、どれか一つを1958年の女性自殺者増加の原因とするだけの資料はありません。

特に重要なのは、男性も同じ1958年に619人増えていることです。つまり、この年の大きな自殺の波には、女性だけに関係する出来事とは別に、男女共通の要因も存在していたと考える必要があります。

赤線廃止との関係は結局分かったのか

最初の疑問に戻ります。赤線を離れた女性の中には、帰郷しても生活が安定しなかった人、仕事を何度も変えた人、別の形で売春へ戻った人などがいました。その中から自殺した女性がいたとしても、不思議ではありません。

しかし、1958年の人口動態統計には「以前、赤線で働いていたか」という項目はありません。9,746人の女性自殺者のうち、元赤線の女性が何人いたのかを知ることはできません。

逆に、赤線を離れた女性を追跡した資料からも、その後の自殺まで全国規模で長期間追った数字を確認することはできませんでした。

そのため、「売春防止法による赤線廃止が原因で、1958年の女性自殺者が増えた」と結論づけることはできません。

最初は、同じ1958年という年に二つの出来事が重なっているため、何か関係があるのではないかと思いました。しかし調べていくと、むしろ1950年代の日本には、もっと大きな自殺の波があったことが分かりました。

調べる前に考えていたものとは、かなり違う結果になった

今回調べていて一番印象に残ったのは、自殺者数を「社会が苦しかったから」という理由だけで見ることの難しさでした。

社会や経済の状況は当然関係するでしょう。しかし同じ社会で暮らしていても、自殺に使われる方法が変わることで、実際に亡くなる人数が大きく動いています。1950年代の催眠剤、1968年以降の都市ガスを見ると、その影響は無視できません。

天城山心中についても、報道によって似た行動が起きた可能性は当時すでに指摘されていました。しかし、それだけで1958年の一年間を説明することもできません。

結局、1958年の自殺増加は、経済状況、若者を取り巻く環境、薬物へのアクセス、報道など、複数の条件が重なった結果だった可能性が高いように思います。その中に赤線廃止の影響がまったくなかったとは言えませんが、現在の資料ではその大きさを確認することはできません。

ただ、赤線について調べたことで、別の疑問が残りました。

当時の資料では、売春をする女性について「保護」「更生」といった言葉が頻繁に使われています。本人がどのような生活を望んでいるのかよりも、社会が考える「女性として望ましい生活」へ戻すという考え方も、かなり強かったように感じます。

1958年なら、女性は結婚して家庭へ入るという価値観が強かった時代なので、それも時代の問題なのだろうと思っていました。

ところが、この「本人を守るために仕事の仕方を制限する」という考え方について考えていると、2022年に成立したAV出演被害防止・救済法、いわゆるAV新法が気になってきました。

もちろん売春防止法とAV新法は、目的も内容も違う法律です。AV出演の強要や、本人の望まない映像が残り続ける被害を防ぐ必要もあります。

ただ、「本人を守るために仕事を制限する」とき、その仕事を自分の意思で選んでいる人はどうなるのでしょうか。そして法律を作ったあと、その人たちの仕事や生活がどう変わったのかまで調べられているのでしょうか。

次はAV新法について調べながら、「人を守ること」と「本人の選択を尊重すること」は、どこまで両立できるのかを考えてみたいと思います。

続きの記事
「女性を守る」という法律は誰のためなのか――AV新法と赤線廃止から考える
→ 第3回を読む

参考資料

  • 厚生労働省「総死亡数・死亡率・自殺死亡数・死亡率の年次推移」
    1950年代から1970年代の男女別自殺者数、自殺死亡率を確認するために使用しました。
    https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/12.html
  • Yoshioka E, Saijo Y, Kawachi I.「An analysis of secular trends in method-specific suicides in Japan, 1950–1975」
    1950年代から1960年代の自殺を男女・年齢・方法別に分析し、特に若年層の薬物中毒による自殺が全体の増減に大きく寄与していたことを確認するために使用しました。
    https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5382522/
  • 日本セーフティプロモーション学会誌「日本における1950-60年代の催眠剤による自殺とアクセス制限の関連(第1報)」
    東京都区部における催眠剤自殺の推移、1958年の自殺2,239人のうち912人、40.7%が催眠剤による自殺だったこと、販売規制と減少時期の関係を確認するために使用しました。
    資料PDF
  • 日本セーフティプロモーション学会誌「日本における1950-60年代の催眠剤による自殺とアクセス制限の関連(第2報)」
    ブロムワレリル尿素系催眠剤の生産量と催眠剤自殺の関係、市場や流通の変化について確認するために使用しました。
    資料PDF
  • 医学書院『助産婦雑誌』1958年3月号「自殺の流行と増加」
    天城山心中後、当時すでに類似した心中や自殺の「流行」、他人の行動による刺激や模倣が問題として意識されていたことを確認するために使用しました。
    https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1611201444
  • 近沢敬一「日本人の自殺の特色」
    警察統計などをもとに、戦後の情死の長期的な動向や、情死における「先例」「モデル」の可能性について論じた研究として参考にしました。
    九州大学学術情報リポジトリ PDF
  • 第28回国会 参議院地方行政委員会 第2号 1958年2月6日
    1958年の銃砲刀剣類等所持取締法制定時の社会状況と、既存の銃規制の不備について確認するために使用しました。
    国立国会図書館 国会会議録検索システム
  • 第28回国会 参議院地方行政委員会 第3号 1958年2月11日
    天城山心中で使われた拳銃の出所について警察が調査していたことや、当時の銃器事情を確認するために使用しました。
    国立国会図書館 国会会議録検索システム
  • 内閣府 経済社会総合研究所「景気基準日付」
    1957年6月から1958年6月までの景気後退と、その後の景気循環を確認するために使用しました。
    https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/hiduke.html
  • 「Time trends in suicide rates by domestic gas or car exhaust gas inhalation in Japan, 1968–1994」
    1968年以降の都市ガスによる自殺増加と、その後の都市ガス無毒化に伴う減少について確認するために使用しました。
    https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6998891/

※1958年の女性自殺者数の増加、赤線廃止、なべ底不況、天城山心中はいずれも時期が重なっていますが、今回確認した資料から、それぞれの間に直接的な因果関係があったと断定することはできません。本文では、統計や史料から確認できた事実と、そこから考えられる可能性を分けて記述しています。